松尾芭蕉・おくのほそ道文学館
仙台の章段

【出典】 俳聖 松尾芭蕉・みちのくの足跡  第12集「芭蕉と仙台」  [文学館目録]
前頁 名取川を渡て仙台に入。あやめふく日也。旅宿をもとめて四五日逗留す。 次頁
「おくのほそ道」芭蕉句集  あやめ草足に結ん草鞋の緒 (あやめぐさ あしにむすばん わらじのお)
15 陸奥国分寺跡 陸奥国分寺跡・句碑 [句碑建立地]
仙台市
陸奥国分寺跡
[句解釈]   ころはちょうど端午の節句。軒端には邪気ばらいの菖蒲がさしてある。わたしも旅の無事を祈って(餞別にもらった紺染の緒のように)草履にあやめ草を結び、出立することにしよう。
多賀城碑と句碑 多賀城碑脇・句碑 [句碑建立地]
多賀城市
多賀城碑の脇
陸奥国分寺の跡地、心字ケ池のほとりに建つ本句碑は、駿河の俳人山南官鼠が天明2年(1782年)仙台を訪れた時に建てたもので、高さは190cmを越える。大きな文字で発句が彫り付けられ、碑陰に官鼠の句「暮れかねて鴉(からす)啼くなり冬木立」を刻む。仙台市指定有形文化財。
  
多賀城市にも「多賀城碑(壷の碑)」の傍らに同句の碑(正式には「芭蕉翁礼賛碑」)があり、こちらは碑面上部に発句、下部に「おくのほそ道」の「壷の碑」の章段の抜粋が刻まれている。碑陰に、「奥の細道仝人」の清水以下5名の句を刻む。鈴木源一郎他7名により、昭和2年(1927年)5月8日に建立。
  
おくのほそ道 現代語訳
仙   台
名取川を渡て仙台に入。あやめふく日也。旅宿をもとめて四五日逗留す。爰に画工加右衛門と云ものあり。聊心ある者と聞て知る人になる。この者、年比さだかならぬ名どころを考置侍ればとて、一日案内す。宮城野の萩茂りあひて、秋の景色思ひやらるゝ。玉田・よこ野・つゝじが岡はあせび咲ころ也。日影ももらぬ松の林に入て、爰を木の下と云とぞ。昔もかく露ふかければこそ、「みさぶらひみかさ」とはよみたれ。薬師堂・天神の御社など拝て、其日はくれぬ。猶、松嶋・塩がまの所々、画に書て送る。且、紺の染緒つけたる草鞋二足餞す。さればこそ風流のしれもの、爰に至りて其実を顕す。
 あやめ草足に結ん草鞋の緒

かの画図にまかせてたどり行ば、おくの細道の山際に十符の菅有。今も年々十符の菅菰を調て国守に献ずと云り。
名取川を渡って仙台に入る。菖蒲を葺く日であった。旅の宿を求めて仙台に4、5日滞在する。この地に絵かき職人の加右衛門という者がいる。いささか情趣を解する者と聞いて知り合いになった。加右衛門は、「数年来、不確かな名所を調べておきましたので」といって、ある日案内してくれた。宮城野の萩が今の季節にこのように茂り合っているのを見ると、秋の景色はいかばかりかと思いを馳せた。玉田、よこ野、つゝじが岡はあせびが咲くころである。こんどは日の光が届かないほど茂った松の林に入り、加右衛門は「ここが木の下です」という。昔もこのように露が深かったからこそ古歌で「御侍(ご家来)よ、ご主人に『御笠を』と申されよ」と詠んでいるのだ。次に、薬師堂、天神の御社などを参拝してその日は暮れた。加右衛門は、案内してくれた上に松島と塩釜の所々を絵にかいて贈ってくれた。また、紺染の緒がついたわらじを二足、餞別にくれた。そうであればこそ風流の痴れ者で、ここに至ってその本性をあらわした。そこで、

ころはちょうど端午の節句。軒端には邪気ばらいの菖蒲がさしてある。わたしも旅の無事を祈って(餞別にもらった紺染の緒のように)草履にあやめ草を結び、出立することにしよう。

加右衛門がかいてくれた画図をたよりに歩いていくと、おくの細道の山際に十符の菅が見られた。今も毎年十符の菅菰を作り藩主に献上しているという。
  
曽良随行日記 (仙台)
元禄2年(1689年)5月4日(新暦6月20日)〜5月8日(新暦6月24日)
原 文 現代語
一 四日 雨少止。辰ノ尅、白石ヲ立。折ゝ日ノ光見ル。岩沼入口ノ左ノ方ニ竹駒明神ト云有リ。ソノ別当ノ寺ノ後ニ武隈ノ松有。竹がきヲシテ有。ソノ辺、侍やしき也。古市源七殿住所也。
 
 
 
○笠島(名取郡之内)、岩沼・搏c之間、左ノ方一里計有。三ノ輪・笠嶋と村並テ有由、行過テ不見。
 
 
○名取川、中田出口ニ有。大橋・小橋二ツ有。左ヨリ右ヘ流也。
 
○若林川、長町ノ出口也。此川一ツ隔テ仙台町入口也。 
 
夕方仙台ニ着。其夜、宿国分町大崎庄左衛門。
 
 
一 五日
橋本善衛門殿ヘ之状、翁持参。山口与次衛門丈ニテ宿ヘ断有。須か川吾妻五良七ヨリ之状、私持参、大町弐丁目、泉屋彦兵ヘ内、甚兵衛方ヘ届。甚兵衛留主。其後、此方ヘ見廻、逢也。三千風尋ルニ不知。其後、北野や加衛門ニ逢(国分町ヨリ立町ヘ入、左ノ角ノ家の内。)、委知ル。
 
 
一 六日 天気能。亀が岡八幡ヘ詣。ノ追手ヨリ入。俄ニ雨降ル。茶室ヘ入、止テ帰ル。
 
一 七日
快晴。加衛門(北野加之)同道ニテ権現宮(仙台東照宮)を拝、玉田・横野を見。つゝじが岡ノ天神ヘ詣、木の下ヘ行。薬師堂、古ヘ国分尼寺(実際は国分寺)之跡也。帰リ曇。夜ニ入、加衛門・甚兵ヘ入来。冊尺(短冊の誤り)並横物一幅づゝ翁書給。ほし飯一袋・わらぢ二足、加衛門持参。翌朝、のり壱包持参。夜ニ降。
 
一 八日
朝之内小雨ス。巳ノ尅ヨリ晴ル。仙台ヲ立。十符菅壺碑ヲ見ル。未ノ尅、塩釜ニ着、湯漬など喰。末ノ松山興井
野田玉川おもはくの橋浮島等ヲ見廻リ帰。出初ニ塩釜ノかま(お釜神社の写真)を見ル。宿、治兵ヘ法蓮寺門前。加衛門状添。銭湯有ニ入。
一 四日
雨少し止む。午前8時頃、白石を立つ。折ゝ日の光見る。岩沼入口の左の方に竹駒明神という神社有リ。その別当の寺(竹駒寺)の後に武隈の松有り。竹垣をして有る。その辺、侍やしき也。古市源七殿(岩沼館主・古市源吉のこと)の住所也。
 
○笠島(名取郡の内)、岩沼と増田の間、左の方一里ばかりに有り。箕輪と笠島の村、並んで有るというが、行き過ぎて見ず。
 
○名取川は中田の出口に有り。大橋(名取川橋)と小橋(現在の大野田橋)二つ有り、川は、左より右ヘ流れる。
 
○若林川(広瀬川)は長町の出口で、この川を一つ隔て仙台町の入口となる。 
 
夕方仙台に着く。その夜、国分町・大崎庄左衛門宅に宿す。
 
一 五日
仙台藩士・橋本善衛門殿への紹介状を翁持参し宿を求めるが、後に、家臣・山口与次衛門が宿を訪れ断りを入れる。須賀川の吾妻五良七からの紹介状、私持参し、大町二丁目・泉屋彦兵衛宅内の甚兵衛方ヘ届ける。甚兵衛留主。その後、甚兵衛来訪し、逢う。大淀三千風のことを尋ねるが消息知らず。その後、北野屋加衛門に逢い(国分町より立町へ入り、左の角の家の内)、三千風について委細知る。
 
一 六日 天気よし。亀が岡八幡ヘ詣でる。仙台城の追手門より入る。にわか雨降る。茶室へ入り、雨止んで帰る。
 
一 七日 
快晴。加衛門(北野加之)同道にて権現宮(仙台東照宮)を拝し、玉田、横野を見る。つゝじが岡ノ天神ヘ詣で、木の下ヘ行く。薬師堂、いにしえの国分寺の跡也。帰リ時、曇り。夜に入り、加衛門と甚兵衛が来訪。短尺並びに横物一幅づゝ、翁、書かれる。ほし飯一袋、わらじ二足、加衛門持参。翌朝、のり一包持参。夜に雨降る。
 
一 八日
朝の内小雨降る。午前10時頃より晴れ。仙台を立つ。十符菅と壺碑を見る。
午後2時頃、塩釜に着き、湯漬け飯など食す。末の松山、沖の井、野田の玉川、おもわくの橋、浮島等を見物して帰る。見物の前に鹽竈のかまを見る。治兵衛宅に宿す、法蓮寺の門前。加衛門の紹介状あり。銭湯有り、入る。
◇一里:約4km ◇一丁(町):約109m ◇一間:約1.8m


本文・曽良随行日記の現代語訳および句の解釈

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曽良随行日記は「俳聖 松尾芭蕉・みちのくの足跡」のシリーズ「芭蕉について」からそのまま

転記しています。
ただし、章段によっては、滞在日に合わせて元のテキストを分割して掲載しているのもあります。

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第12集 芭蕉と仙台


底本について

「おくのほそ道」の本文は、素龍清書の「西村本」を底本としています。
 
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