松尾芭蕉・おくのほそ道文学館
塩釜鹽竈明神の章段

【出典】 俳聖 松尾芭蕉・みちのくの足跡  第14集「芭蕉と塩釜」  [文学館目録]
前頁 五月雨の空聊はれて、夕月夜幽に、籬が嶋もほど近し。 次頁
塩釜湾 鹽竃神社の表参道
塩釜湾(塩釜の浦、千賀の浦)。昭和30年代に行われた湾内埋め立てによってかなり狭くなり、昔、湾内にぽつりと浮かんでいた籬島(まがきじま。写真中央)は、今では、陸地から20mほどの位置にまで接近している。芭蕉を迎えた千賀の浦の星月夜に、侘びと幽玄の美を醸した籬島は、今、塩釜を出航する観光遊覧船の拡声器から、松島「八百八島」の一番手として、「わがせこを宮こにやりてしほがまのまがきのしまの松ぞこいしき」(古今和歌集)の歌とともに紹介されている。
戦前の絵葉書に見る籬島 現在の籬島 航空写真
鹽竈神社は、塩釜市北西部の一森山に鎮座し、古来より東北を鎮護する「陸奥国一の宮」として崇敬を集めている。境内の広さは28ヘクタールに及び、神社の杜は、室町初期に植えられた樹齢600年の杉の木を筆頭に、相当数の樹木で緑の生活が営まれている。同じ山内の志波彦神社の境内に立てば、塩釜の浦の絶景を一望することができ、晴れた日は、遥か遠くの牡鹿半島や金華山まで見渡すことができる。「八百八島」と形容される日本三景・松島の半分以上の島が塩釜市に含まれることから、この一森山からであっても、十分に湾内の眺望を楽しむことができる。
  
おくのほそ道 現代語訳
塩  釜
五月雨の空聊はれて、夕月夜幽に、籬が嶋もほど近し。蜑の小舟こぎつれて、肴わかつ声々に、つなでかなしもとよみけん心もしられて、いとゞ哀也。其夜、目盲法師の琵琶をならして奥上るりと云ものをかたる。平家にもあらず、舞にもあらず。ひなびたる調子うち上て、枕ちかうかしましけれど、さすがに辺土の遺風忘れざるものから、殊勝に覚らる。 五月雨の空がいささか晴れて、夕月がほのかに照らし、籬が島も間近に見える。漁師の舟が連れ立って漕ぎ帰り、魚を分け合う声を聞くいていると、古人が「つなでかなしも」と詠んだ気持ちも分かり、いっそうしみじみとした心地がするものだ。その夜、盲目の法師が琵琶をひきながら奥浄瑠璃というものを語った。平家琵琶でもなく、幸若舞の曲でもない。いなかめいた調子で声を張り上げて語るので、枕元から近くかしましいのだけれど、さすがに片田舎に残る昔からの文化を忘れずに伝えているものだと、けなげに感じたことである。
鹽 竈 明 神
早朝塩がまの明神に詣。国守再興せられて、宮柱ふとしく彩椽きらびやかに、石の階九仞に重り、朝日あけの玉がきをかゝやかす。かゝる道の果、塵土の境まで、神霊あらたにましますこそ、吾国の風俗なれと、いと貴けれ。神前に古き宝燈有。かねの戸びらの面に文治三年和泉三郎寄進と有。五百年来の俤、今目の前にうかびて、そゞろに珍し。渠は勇義忠孝の士也。佳命今に至りてしたはずといふ事なし。誠人能道を勤、義を守べし。名もまた是にしたがふと云り。日既午にちかし。船をかりて松嶋にわたる。其間二里餘、雄嶋の磯につく。 早朝、鹽竈神社に参詣する。鹽竈神社はかつて藩主伊達政宗公が再興されて、宮柱は太く、彩色した垂木はきらびやかで美しく、石段は極めて高く重なり、朝日が朱色の垣根を輝かせている。このような奥地の片田舎であっても、神のご利益があらたかでおられることこそ我が国の風俗であり、大変貴いことと思われた。社殿の前に古い燈篭がある。鉄の扉の面に、「文治三年和泉三郎寄進」と彫られている。五百年も前の様子が今、目の前に浮かんできて、ただ無性に珍しいと思われた。和泉三郎は、勇気、節義、忠孝を兼ね備えた武士である。誉れ高い名前は今に至っても慕わないものはいない。誠に人はよく道理をわきまえた行いをし、節義を守るべきである。「名声もまたこれに自然についてくる」というがまさにその通りだ。日はもう正午に近い。船をやとって松島に渡った。塩釜から二里ばかり船を進めて、雄島の磯に着いた。
  
曽良随行日記 (塩釜)
元禄2年(1689年)5月8日(新暦6月24日)〜5月9日(新暦6月25日)
原 文 現代語
一 八日
朝之内小雨ス。巳ノ尅ヨリ晴ル。仙台ヲ立。十符菅・壺碑ヲ見ル。未ノ尅、塩釜ニ着、湯漬など喰。末ノ松山興井
野田玉川おもはくの橋浮島等ヲ見廻リ帰。出初ニ塩釜ノかま(お釜神社の写真)を見ル。宿、治兵ヘ法蓮寺門前。加衛門状添。銭湯有ニ入。
一 八日
朝の内小雨降る。午前10時頃より晴れ。仙台を立つ。十符菅と壺碑を見る。午後2時頃、塩釜に着き、湯漬け飯など食す。末の松山、沖の井、野田の玉川、おもわくの橋、浮島等を見物して帰る。見物の前に鹽竈のかまを見る。治兵衛宅に宿す、法蓮寺の門前。加衛門の紹介状あり。銭湯有り、入る。
     
一 九日
快晴。辰ノ尅、鹽竈明神ヲ拝。帰テ出船。千賀ノ浦籬島・都島等所々見テ、午ノ尅松島ニ着船。
一 九日
快晴。午前8時頃、鹽竈明神を拝す。帰宿後、出船。千賀ノ浦、籬島、都島等、所々見て、正午頃松島に着船。


本文・曽良随行日記の現代語訳および句の解釈

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曽良随行日記は「俳聖 松尾芭蕉・みちのくの足跡」のシリーズ「芭蕉について」からそのまま

転記しています。
ただし、章段によっては、滞在日に合わせて元のテキストを分割して掲載しているのもあります。

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俳聖 松尾芭蕉・みちのくの足跡

第14集 芭蕉と塩釜


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