松尾芭蕉・おくのほそ道文学館
石巻の章段

【出典】 俳聖 松尾芭蕉・みちのくの足跡  第20集「芭蕉と石巻」  [文学館目録]
前頁 十二日、平和泉と心ざし、あねはの松・緒だえの橋など聞伝て、・・・ 次頁
芭蕉と曽良の像 日和山公園からの眺望
日和山の旧北上川河口側に建つ芭蕉と曽良の像。昭和63年6月26日に、「おくのほそ道」紀行300年を記念して建立されたもので、台座には「元禄二年(1689)六月二十六日(旧五月十日)芭蕉が曽良を伴って千石町(旧新田町)四兵衛宅(現石巻グランドホテル敷地)に宿して居る。俳聖芭蕉と曽良の師弟愛を顕彰し記念とする」とある。 像が建つ位置から南東方向の景観。右に日和大橋が見え、その先に田代島(右)と網地(あじ)島(左)がかすかに見える。左の牡鹿半島の手前に川口、大門、明神の町並がある。「おくのほそ道」に「・・・石の巻といふ湊に出。『こがね花咲』とよみて奉たる金花山、海上に見わたし、・・・」とあるが、金華山は、牡鹿半島に隠れてこの近辺からは見られない。
  
おくのほそ道 現代語訳
石   巻
十二日、平和泉と心ざし、あねはの松・緒だえの橋など聞伝て、人跡稀に雉兎蒭蕘の往かふ道そこともわかず、終に路ふみたがえて、石の巻といふ湊に出。「こがね花咲」とよみて奉たる金花山、海上に見わたし、数百の廻船入江につどひ、人家地をあらそひて、竈の煙立つゞけたり。思ひがけず斯る所にも来れる哉と、宿からんとすれど、更宿かす人なし。漸まどしき小家に一夜をあかして、明れば又しらぬ道まよひ行。袖のわたり・尾ぶちの牧・まのゝ萱はらなどよそめにみて、遥なる堤を行。心細き長沼にそふて、戸伊摩と云所に一宿して、平泉に到る。其間廿余里ほどゝおぼゆ。 十二日、平泉に行くことを心に決め、姉歯の松・緒絶の橋などを伝え聞いたので、人の通った跡もまれで、猟師や芝刈りなどが行き来する、どこともわからない道を行ったところ、ついに道をあやまり、石巻という港に出た。大伴家持が「こがね花咲」と詠んで天皇に奉った金華山を海上遠くに望み見、湾内に数百の廻船が集まり、人家が隙間なく建ち並んで、かまどの煙が途切れずに立ち上がっている。思いがけず、このような所に来てしまったなあと思いながら宿を借りようとしたが、そのような人はさらさら見つからない。ようやく貧しい家で一夜をあかし、夜が明けてまた知らない道を迷いながら歩いて行く。袖の渡り、尾ぶちの牧、真野の萱原などをよそ目に見て、遥か先までのびている堤の上を歩いて行く。心細い感じがする長い沼に沿って、登米という所まで来て一宿し、平泉に到着した。その間、二十里ほどと思われた。
  
曽良随行日記 (石巻登米)
元禄2年(1689年)5月10日(新暦6月26日)〜5月12日(新暦6月28日)
原 文 現代語
一 十日
快晴。松島立(馬次ニテナシ)。馬次、高城村(間廿丁計)、(是ヨリ桃生郡)小野(弐里半)。石巻(四里余)。仙台ヨリ十三里余。小野ト石ノ巻(牡鹿郡)ノ間、矢本新田ト云町ニテ咽乾、家毎ニ湯乞共不与。刀さしたる道行人、年五十七、八、此躰を憐テ、知人ノ方ヘ壱町程立帰、同道シテ湯を可与由ヲ頼。又、石ノ巻ニテ新田町、四兵ヘと尋、宿可借之由云テ去ル。名ヲ問、小野ノ近ク、ねこ(根古)村、コンノ(今野)源太左衛門殿。如教、四兵ヘヲ尋テ宿ス。着ノ後、小雨ス。頓テ止ム。日和山と云ヘ上ル。石ノ巻中不残見ゆル。奥ノ海(今ワタノハ「渡波」ト云)・遠島・尾駮ノ牧山眼前也。真野萱原も少見ゆル。帰ニ住吉ノ社参詣。袖ノ渡リ、鳥居ノ前也。
一 十日
快晴。松島を立つ(馬継にて無し)。馬継、高城村(その間廿丁ばかり)、(是より桃生郡)小野(二里半)。石巻(四里余)。仙台より十三里余。小野と石巻(牡鹿郡)の間の矢本新田で咽乾き、家毎に湯を乞うが与えず。刀をさした道行人、年五十七、八、此躰を憐れみ、知人の方へ壱町程立ち帰り、同道して湯を与えるよう頼む。又、石巻で新田町の「四兵へ」を尋ね宿を借りるよう云って去る。名を問えば、小野の近く根古村、今野源太左衛門殿。教えられるまま四兵ヘを尋ねて宿す。到着後、小雨。頓て(とみて。すぐに)止む。日和山と云う山に上る。石巻中見渡し得る。奥の海(今「渡波」と云う)・遠島(牡鹿半島)・尾駮(おぶち)の牧山眼前也。真野萱原も少し見える。帰りに住吉神社参詣。袖の渡り、鳥居の前也。
     
一 十一日
天気能。石ノ巻ヲ立。宿四兵ヘ、今一人、気仙ヘ行トテ矢内津迄同道。後、町ハヅレニテ離ル。石ノ巻、二リ鹿ノ股(一リ余渡有)、飯野川(三リニ遠し。此間、山ノアイ、長キ沼有)。曇。矢内津(一リ半。此間ニ渡し二ツ有)。戸いま(伊達大蔵)、儀左衛門宿不借、仍
検断告テ宿ス。検断庄左衛門。
一 十一日
天気よし。石の巻を立つ。宿主の四兵ヘ、今一人、気仙(岩手県陸前高田市)へ行く同宿の者と矢内津(柳津。本吉郡津山町)迄同道。後、町はずれで別れる。石巻から二里に鹿ノ股(鹿又。桃生郡河南町)(一里余に渡し有り)、飯野川(三里より遠し。此間、山あいに、長き沼有)。曇。矢内津(柳津)(一里半。此間に渡し二つ有)。戸いま(登米郡登米町)(登米領主伊達大蔵)、儀左衛門宿借さず、よって検断に告げて宿す。検断庄左衛門。
     
一 十二日
曇。戸今を立。三リ、雨降出ル。上沼新田町(長根町トモ)三リ、安久津(松島ヨリ此迄両人共ニ歩行。雨強降ル。馬ニ乗)一リ、加沢。三リ、皆山坂也。一ノ関黄昏ニ着。合羽モトヲル也。宿ス。
一 十二日
曇り。戸今(登米)を立つ。三里、雨降り出す。上沼新田町(長根町とも)三里、安久津(涌津。岩手県西磐井郡花泉町内)(松島よりここ迄両人共に歩行。雨強く降る。馬に乗る)一里、加沢(金沢。花泉町内)。三里、皆山坂也。一の関に夕方着く。雨強く合羽も通る程也。宿す。
◇一里:約4km ◇一丁(町):約109m ◇一間:約1.8m


本文・曽良随行日記の現代語訳および句の解釈

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曽良随行日記は「俳聖 松尾芭蕉・みちのくの足跡」のシリーズ「芭蕉について」からそのまま

転記しています。
ただし、章段によっては、滞在日に合わせて元のテキストを分割して掲載しているのもあります。

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第20集 芭蕉と石巻


底本について

「おくのほそ道」の本文は、素龍清書の「西村本」を底本としています。
 
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