松尾芭蕉・おくのほそ道文学館
尾花沢の章段

【出典】 俳聖 松尾芭蕉・みちのくの足跡  第22集「芭蕉と尾花沢」  [文学館目録]
前頁 尾花沢にて清風と云者を尋ぬ。かれは富るものなれども、志いやしからず。 次頁
「おくのほそ道」芭蕉句集  涼しさを我宿にしてねまる也 (すずしさを わがやどにして ねまるなり)
19 養泉寺 養泉寺・句碑 [句碑建立地]
尾花沢市
養泉寺
[句解釈]   旅先ながら、涼しい座敷でくつろいでいますので、まるで我が家にでも居るような心持で過ごしていますよ。
この句は、尾花沢で巻かれた「すゞしさを」歌仙の発句として詠まれたもの。鈴木清風に対する挨拶句。この歌仙は、尾花沢滞在中に巻かれたもう1つの「おきふしの」歌仙とともに須賀川・相楽等窮の家に伝来したもので、これを須賀川の俳人石井雨考が見つけ、文政2年(1819)ごろ幽嘯が書き写して「繋橋」に載せたもの。石井雨考は、文政8年(1825年)に、須賀川可伸庵にある「軒の栗」碑を竹馬、英之、阿堂とともに建立した人物。

上の句碑は、宝暦12年(1762年)に柴崎路水と鈴木素州が建てたもので、「涼し塚」と呼ばれる。「壷中居士」を刻む石碑がこれと並んで建っている。壷中は、村山地方を代表する江戸期の俳人で、初め蕉門十哲・服部嵐雪の流れを汲む海谷一中の門に入るが、のち、同じ蕉門十哲の一人各務支考を祖とする美濃派の俳人林風草(鶴岡)の門下となった。宝暦元年(1751年)、俳諧仲間とともに、山寺立石寺に「蝉塚」を築いた人物でもある。
「おくのほそ道」芭蕉句集  這出よかひやが下のひきの声 (はいいでよ かいやがしたの ひきのこえ)
20 [句解釈]   飼屋の下から聞こえるカエルの鳴き声を聞いていると、つい、万葉の歌に詠まれたあの蛙のことが思い出される。ヒキガエルよ、さあ、そこから這い出してこちらにやってこないか。
尾花沢滞在中、芭蕉は、土地の俳人と積極的に交流をはかり、また、「日待ち」、「庚申待」といった行事にも招待され、地域の人々と交流する機会を得ている。こうした中、交わりを持った俳人の中に蚕飼いの農家があって、実際に「かひや(飼屋)」に案内してもらった可能性がある。この折に、万葉集の「朝霞飼屋が下に鳴くかはづ声だに聞かば吾あれ恋ひめやも」や「朝霞鹿火屋(かひや)が下に鳴くかはづ偲ひつつありと告げむ子もがも」の歌が思い出され、その中の「かはず(蛙。かえる)」を、繁殖期、すなわち恋がらみの「ヒキガエル」に見做して上の句が作られたと見られる。ヒキガエルの繁殖期が春早い時期であることから、実際にヒキガエルの声が聞こえたというよりも、歌中の「かはず」がそのまま引かれたということだろう。
「おくのほそ道」芭蕉句集  まゆはきを俤にして紅粉の花 (まゆはきを おもかげにして べにのはな)
21 石倉を通る旧山寺街道の傍ら 石倉・句碑 [句碑建立地]
天童市
石倉
[句解釈]   紅花を眺めながらの旅は、心まで華やぐものであるよ。こうした心地で紅花に目を遣ると、女性が化粧で使用するまゆはきが思い出されることだ。
上の句について、曽良の俳諧書留に「立石(立石寺)の道ニテ まゆはきを俤にして紅花 翁」の記述がある。これは、この句が、山寺立石寺への旅の途次、羽州街道または山寺街道沿いに広がる紅花畑を眺めながら詠まれたものであることを示している。

俳諧書留は、曽良が「おくのほそ道」の旅の間に、芭蕉の自詠句や自らの句、歌仙などを書き留めたもので、次の4行は、大石田で巻かれた「さみだれや」歌仙の末尾の空白部に記されている。2句ともに「おくのほそ道」に記された句の草稿にあたる。

立石の道ニテ
まゆはきを俤にして紅花 翁
立石寺
山寺や石にしミつく蝉の聲 翁
「おくのほそ道」曽良句集  蚕飼する人は古代のすがた哉 (こがいする ひとはこだいの すがたかな)
6 [句解釈]  蚕飼いする人の、かいがいしく働く姿や仕草は、大昔から少しも変わっていないことだと、しみじみ思うことであるよ。
蚕の扱いは、昔から女性の仕事とされ、寒いときは暖をとってあげ、暑すぎるときは窓を開けて涼しい空気を入れ、また、真夜中に起きて桑の葉を与えたりと、実にかいがいしく働いたのである。曽良は、こうした現実の姿の中に、古代の人の幻影を見て深く感じ、上の句を詠んだものと見られる。

この句は、須賀川で巻かれた「風流の」歌仙に、曽良の「(蚕)飼する屋に小袖かさなる」の句が見られ、また、俳諧書留中、当該歌仙を記す右手に「蠶する姿に残る古代哉」の句が記されていることから、初案は須賀川で成されたものと見られる。
  
おくのほそ道 現代語訳
尾  花  沢
尾花沢にて清風と云者を尋ぬ。かれは富るものなれども、志いやしからず。都にも折々かよひて、さすがに旅の情をも知たれば、日比とゞめて、長途のいたはり、さまざまにもてなし侍る。
 涼しさを我宿にしてねまる也
 這出よかひやが下のひきの声
 まゆはきを俤にして紅粉の花
 蚕飼する人は古代のすがた哉
 曽良
尾花沢で清風という者を訪ねた。彼は裕福だが、心の卑しさがない。都にも時々行き来しているので、旅する者の心情をわきまえていて、何日も引き止め、長旅の疲れをねぎらい、また、さまざまに持て成してくれた。

旅先ながら、涼しい座敷でくつろいでいますので、まるで我が家にでも居るような心持で過ごしていますよ。
 
飼屋の下から聞こえるカエルの鳴き声を聞いていると、つい、万葉の歌に詠まれたあの蛙のことが思い出される。ヒキガエルよ、さあ、そこから這い出してこちらにやってこないか。
 
紅花を眺めながらの旅は、心まで華やぐものであるよ。こうした心地で紅花に目を遣ると、女性が化粧で使用するまゆはきが思い出されることだ。
 
蚕飼いする人の、かいがいしく働く姿や仕草は、大昔から少しも変わっていないことだと、しみじみ思うことであるよ。
  
曽良随行日記 (尾花沢)
元禄2年(1689年)5月17日(新暦7月3日)〜5月27日(新暦7月13日)
原 文 現代語
十七日 快晴。堺田ヲ立。一リ半、笹森関所有。新庄領。関守ハ百姓ニ貢ヲ宥シ置也。ササ森。三リ、市野ゝ。小国ト云ヘカヽレバ廻リ成故、一バネト云山路ヘカヽリ、此所ニ出、堺田ヨリ案内者ニ荷持セ越也。市野ゝ五、六丁行テ関有。最上御代官所也。百姓番也。関ナニトヤラ云村也。正厳・尾花沢ノ間、村有。是、野辺沢ヘ分ル也。正ゴンノ前ニ大夕立ニ逢。昼過、清風ヘ着。一宿ス。 十七日 快晴。堺田を立つ。一里半、笹森関所有り。新庄領。関守は百姓で、貢(租税)を宥(ゆる)し置く也。笹森。三里、市野ゝ(尾花沢市)。小国という村へ掛かれば回り道と成る故、一バネ(一刎。最上町)と云う山路(山刀伐峠)へ掛かり、此所(市野ゝ)に出る。堺田より案内者に荷を持たせ峠を越す。市野ゝから五、六丁行ったところに関所有り。最上御代官所也。百姓番の関所也。関ナニトヤラ云う村(関谷村。「関屋」とも)也。正厳(しょうごん)・尾花沢の間、村(二藤袋村)有り。ここで野辺沢への道と分かれる也。正ごん到着前に大夕立に逢う。昼過ぎ、清風宅へ着く。一宿す。
     
十八日 昼、寺ニテ風呂有。小雨ス。ソレヨリ養泉寺移リ居。 十八日 昼、寺で風呂に入る。小雨降る。それより養泉寺に移って居す。
     
十九日 朝晴ル。素英、ナラ茶賞ス。夕方小雨ス。 十九日 朝晴れる。素英ふるまいのナラ茶を賞味す。夕方小雨降る。
     
廿日 小雨。 廿日 小雨。
     
廿一日 朝、小三良ヘ被招。同晩、沼沢所左衛門ヘ被招。此ノ夜、清風ニ宿。 廿一日 朝、小三良に招かれる。同晩、沼沢所左衛門に招かれる。此の夜、清風宅に宿す。
     
廿二日 晩、素英ヘ被招。 廿二日 晩、素英に招かれる。
     
廿三日ノ夜、秋調ヘ被招。日待也。ソノ夜清風ニ宿ス。 廿三日の夜、秋調に日待ち(「日待ち」は、前夜から体を清め、日の出を待って拝む行事、または、農作業の一区切りで地域の人が集まって会食することを言うが、当夜の「日待ち」は、芭蕉が、秋調宅ではなく清風宅に泊まっているので後者の方と見られる。)の行事に招かれる。その夜、清風宅に宿す。
     
廿四日之晩、一橋、寺ニテ持賞ス。十七日ヨリ終日清明ノ日ナシ。 廿四日の晩、一橋が養泉寺でもてなす。十七日より終日清明の日(「清明」は二十四節気の1つで、春分の日から数えて15日目、新暦で4月5日頃を指すが、ここでの「清明ノ日」は、梅雨空を吹き飛ばすような天気の良い日、ほどの意)なし。
     
○秋調 仁左衛門。○素英 村川伊左衛門。○一中 町岡素雲。○一橋 田中藤十良。遊川 沼沢所左衛門。東陽 歌川平蔵。○大石田、一栄 高野平右衛門 ○同、川水 高桑加助。○上京、鈴木宗専、俳名似林、息小三良。新庄、渋谷甚兵ヘ、風流。 ○秋調 仁左衛門。○素英 村川伊左衛門。○一中 町岡素雲。○一橋 田中藤十良。遊川 沼沢所左衛門。東陽 歌川平蔵。○大石田、一栄 高野平右衛門 ○同、川水 高桑加助。○上京、鈴木宗専、俳名似林、息小三良。新庄、渋谷甚兵ヘ、風流。
     
廿五日 折々小雨ス。大石田ヨリ川水入来。連衆故障有テ俳ナシ。夜ニ入、秋調ニテ庚申待ニテ被招。 廿五日 折々小雨降る。大石田より川水が来訪。連衆に折合いのつかない者がおり俳席なし。夜に入って、秋調宅の庚申待ち(庚申の夜に神仏を祭り寝ないで徹夜する習い)に招かれる。
廿六日 昼より遊川宅で、東陽により持てなしを受ける。此日も小雨降る。
     
廿六日 昼ヨリ於遊川ニ東陽持賞ス。此日モ小雨ス。 廿六日 昼より遊川宅で、東陽により持てなしを受ける。此日も小雨降る。
     
廿七日
天気能。辰ノ中尅、尾花沢ヲ立テ立石寺ヘ趣。清風ヨリ馬ニテ舘岡(楯岡)迄被送ル。尾花沢。二リ、元飯田(本飯田)。一リ、舘岡(楯岡)。一リ、六田。馬次間ニ、内藏ニ逢。二リよ、天童(山形ヘ三リ半)。一リ半ニ近シ。山寺。未ノ下尅ニ着。宿預リ坊。其日、山上・山下巡礼終ル。是ヨリ山形ヘ三リ。山形ヘ趣カン(ト)シテ止ム。是ヨリ仙台ヘ趣路有。関東道、九十里余。
廿七日
天気よし。午前8時頃、尾花沢を立って立石寺へ趣く。清風差し向けの馬にて楯岡(村山市内)迄送られる。尾花沢。二里、元飯田(本飯田。村山市内)。一里、楯岡。一里、六田。馬継間に、内藏に逢う。二里余り、天童(山形へ三里半)。一里半に近し。山寺。午後2時半頃に着く。宿は「預リ坊」。その日の内に、山上、山下の巡礼を終える。是より山形へ三里。山形ヘ趣こうとしたが止める。是より仙台ヘ趣く路有り。関東道、九十里余り。
◇一里:約4km ◇一丁(町):約109m ◇一間:約1.8m


本文・曽良随行日記の現代語訳および句の解釈

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曽良随行日記は「俳聖 松尾芭蕉・みちのくの足跡」のシリーズ「芭蕉について」からそのまま

転記しています。
ただし、章段によっては、滞在日に合わせて元のテキストを分割して掲載しているのもあります。

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第22集 芭蕉と尾花沢


底本について

「おくのほそ道」の本文は、素龍清書の「西村本」を底本としています。
 
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