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おくのほそ道・旅の宿   (株)インプレスの「Internetホームページ用素材集(Special)」から
[ 其の1 ]

「おくのほそ道」の旅で芭蕉一行が宿泊したと伝えられるゆかりの地を、本文や曽良随行日記、増補行程記(盛岡市中央公民館所蔵)、取材写真など、様々な資料を交えて説明しています。
  

元禄2年(1689年)3月27日(新暦5月16日)

粕壁(春日部)  -埼玉県-
「曽良随行日記」からの情報   [資料]
廿七日カスカベニ泊ル。江戸ヨリ九里余。
おくのほそ道・旅の宿
東陽寺 粕壁・東陽寺

写真は旧日光街道に面して建つ山門。

「伝芭蕉宿泊の寺」の標柱
曽良日記の碑
東陽寺は「おくのほそ道」の旅の第1日目の宿泊地と伝えられ、山門脇に「伝芭蕉宿泊の寺」と記す標柱が建てられている。東陽寺は、曹洞宗の寺で正式には医王山東陽寺といい、開基は、寛永9年(1632年)に入山した第一世住職、熊巌呑藝(ゆうがんどんげ)和尚。
小渕山観音院 粕壁・小渕山観音院

写真は市指定文化財の仁王門。元禄2年の建立と伝えられる。
小渕山観音院にも、第1日目の宿とする言い伝えがある。本院の建立は鎌倉時代中期と言われ、山号は小渕という地名に、院号は本尊の正観音に由来する。寺号は正賢寺。
「奥州道中 増補行程記」からの情報
埼玉郡粕壁 壱里半三丁。茶屋。八幡宮 四間四面柳古木有之候。粕壁川 坂東太郎と申川也。(図34より)
第16集 芭蕉と草加
「芭蕉と草加」の「芭蕉について」
  

3月28日(新暦5月17日)

儘田(間々田) -栃木県-
「曽良随行日記」からの情報    [資料]
廿八日 マヽダニ泊ル。カスカベヨリ九里。前夜ヨリ雨降ル。辰上尅止ニ依テ宿出。間モナク降ル。午ノ下尅止。此日栗橋ノ関所通ル。手形モ断モ不入。
廿九日 辰ノ上尅マヽダヲ出。
「奥州道中 増補行程記」からの情報
儘田。小山迄一里廿八丁。町宿、長さ九丁程。左右町裏樹木篭る。(図62より)
千駄木村。一里塚。儘田出口より此塚迄二丁余。 (図63より)
おくのほそ道・旅の宿
  - -
宿泊先不明   - -
  

3月29日(新暦5月18日)

鹿沼  -栃木県-
「曽良随行日記」からの情報   [資料]
廿九日 一 にれ木ヨリ鹿沼ヘ一リ半。
一 昼過ヨリ曇。同晩、鹿沼(ヨリ火バサミヘ弐リ八丁)ニ泊ル。(火バサミヨリ板橋ヘ廿八丁、板橋ヨリ今市ヘ弐リ、今市ヨリ鉢石ヘ弐リ。)
一 四月朔日
前夜ヨリ小雨降。辰上尅、宿ヲ出。
おくのほそ道・旅の宿
光太寺の笠塚 鹿沼・光太寺

写真は光太寺境内の芭蕉「笠塚」と「芭蕉居士 嵐雪居士」と彫られた墓碑。

墓碑の拡大写真
百里供養碑
光太寺の境内から見た鹿沼市街
例幣使街道と壬生通との合流点(追分交差点)から7kmほど北に行き、足利銀行手前の信号で左に折れると東武日光線のガードがある。芭蕉が宿泊したと伝えられる曹洞禅寺・光太寺は、このガード先に見える小高い山の中腹にある。
本堂は、山麓の附属幼稚園から参道を5分ほど登ったところにあり、本堂の左側の小高く盛られた塚上に「芭蕉居士 嵐雪居士」と彫られた墓碑が建っている。この塚は、芭蕉の死後、寺に残された芭蕉の破れ笠を埋めて供養した「笠塚」といわれ、写真の碑は後代のものだが、その後ろの自然石が笠塚を築いた当時の碑であると説明されている。
墓碑の左隣に百里供養碑があり、その脇に謂れを綴る説明板が建てられている。

高野百里の没した翌年の享保十三年(一七二八)に、門人によって建碑された。山崎北華の『続奥細道蝶の遊』に、
此所の西の方の山寺に翁の笠塚有り。
其角・嵐雪が印、百里塚も有り。
笠塚に到りて、
我も此影に居る也花の笠
三月晦日、日光山に着ぬ。
とあるので、山崎北華は芭蕉の『おくのほそ道』の跡を慕って、(百里没後)十年目の元文三年三月二十九日(一七三八)鹿沼に泊り、此の碑の前で句を作っている。
第18集 芭蕉と日光
「芭蕉と日光」の「日光へ続く街道と日光までの芭蕉の足跡」
  

4月1日(新暦5月19日)

日光 -栃木県-
「おくのほそ道」本文からの情報   [資料]
卅日日光山の梺に泊る。あるじの云けるやう、「我名を佛五左衛門と云。萬正直を旨とする故に、人かくは申侍まゝ、一夜の草の枕も打解て休み給へ」と云。いかなる仏の濁世塵土に示現して、かゝる桑門の乞食順礼ごときの人をたすけ給ふにやと、あるじのなす事に心をとゞめてみるに、唯無智無分別にして、正直偏固の者也。剛毅木訥の仁に近きたぐひ、気禀の清質尤尊ぶべし。
(「仏五左衛門」の章段)
「曽良随行日記」からの情報   [資料]
一 四月朔日
前夜ヨリ小雨降。辰上尅、宿ヲ出。止テハ折々小雨ス。終日雲、午ノ尅、日光ヘ着。雨止。清水寺の書、養源院ヘ届。大楽院ヘ使僧ヲ被添、折節大楽院客有之。未ノ下尅迄待テ御宮拝見。終テ其夜日光上鉢石町五左衛門ト云者ノ方ニ宿
一 同二日 
天気快晴。辰ノ中尅、宿ヲ出。
おくのほそ道・旅の宿
現在の鉢石町
 

 

日光上鉢石町・五左衛門宅

写真は、左の地図の区域を下鉢石町から写したもの。
路上に「平成11年12月 祝 『日光の社寺』 世界遺産登録」の幕を掲ぐ。

宇都宮信金日光支店前の「史跡 鉢石」の標柱
「史跡 鉢石」
芭蕉が草鞋をぬいだ鉢石宿は日光街道の最終宿である。当地は、昔も今も上鉢石、中鉢石、下鉢石に区分けされ、神橋から東に位置しているので古くから東町とも呼ばれる。
この日、芭蕉一行は上鉢石町の五左衛門宅に宿泊しているが、その処は不明である。
中鉢石の宇都宮信金日光支店の庭先に、町名・鉢石の由来とされる巨石「鉢石」がある。その昔、日光山開祖・勝道上人が托鉢の途中、大谷川(だいやがわ)岸辺のこの石に座って日光山を仰いだことから、この石が「鉢石」と呼ばれるようになり、日光街道の最後の宿もこれにちなみ「鉢石宿」と名付けられたという。
第18集 芭蕉と日光
「芭蕉と日光」の「日光へ続く街道と日光までの芭蕉の足跡」
おくのほそ道関連地図帳 芭蕉と日光市
おくのほそ道関連地図帳 日光の二社一寺-詳細
  

4月2日(新暦5月20日)

玉生  -栃木県-
「おくのほそ道」本文からの情報   [資料]
那須の黒ばねと云所に知人あれば、是より野越にかゝりて、直道をゆかんとす。遥に一村を見かけて行に、雨降日暮る。農夫の家に一夜をかりて、明れば又野中を行。
(「那須野が原」の章段)
「曽良随行日記」からの情報   [資料]
一 同二日 
〇船入(船生)ヨリ玉入(玉生)ヘ弐リ。未ノ上尅ヨリ雷雨甚強。漸ク玉入(玉生)ヘ着。
一 同晩 玉入(玉生)泊。宿悪故、無理ニ名主ノ家入テ宿カル
一 同三日 
快晴。辰上尅玉入(玉生)ヲ立。
おくのほそ道・旅の宿
「芭蕉一宿の跡」の案内板
 
「芭蕉一宿の跡」碑
玉生の名主・玉生氏宅

上の写真は、日光北街道沿いに見られる「芭蕉一宿の跡」の案内板で、この先の玉生氏屋敷跡に「芭蕉一宿の跡」がある。

旧尾形医院の庭先に建つ「奥の細道 芭蕉翁の遺跡」碑
芭蕉が玉生で止宿したのは名主(庄屋)玉生氏の屋敷だった。現在この屋敷跡に「芭蕉一宿の跡」と彫られた石碑が建っている。名主の屋敷跡は後年、その子孫によって土地の尾形栄三郎氏に譲られ診療所が開かれた。先年、尾形医院は近隣に移転したが、旧医院の庭先に「おくのほそ道」と曽良随行日記の抜粋や謂れを刻する「奥の細道 芭蕉翁の遺跡」碑が残されている。
第18集 芭蕉と日光
「芭蕉と日光」の「日光から矢板までの芭蕉の足跡」
第19集 芭蕉と那須野が原
  

4月3日〜15日(新暦5月21日〜6月2日)

黒羽 -栃木県-
「おくのほそ道」本文からの情報   [資料]
黒羽の館代浄坊寺何がしの方に音信る。思ひがけぬあるじの悦び、日夜語つゞけて、其弟桃翠など云が、朝夕勤とぶらひ、自の家にも伴ひて、親属の方にもまねかれ、日をふるまゝに、日とひ郊外に逍遙して、・・・。
(「黒羽」の章段)
「曽良随行日記」からの情報   [資料]
一 同三日
鷹内ヘ二リ八丁。鷹内ヨリヤイタヘ壱リニ近シ。ヤイタヨリ沢村ヘ壱リ。沢村ヨリ太田原ヘ二リ八丁。太田原ヨリ黒羽根ヘ三リト云ドモ二リ余也。翠桃宅、ヨゼト云所也トテ、弐十丁程アトヘモドル也。
一 四日
浄法寺図書ヘ被招
一 五日
雲岩寺見物。朝曇。両日共ニ天気吉。
一 六日ヨリ九日迄
雨不止。九日、光明寺ヘ被招。昼ヨリ夜五ツ過迄ニシテ帰ル。
一 十日
雨止。日久シテ照。
一 十一日
小雨降ル。余瀬翠桃ヘ帰ル。晩方強雨ス。
一 十二日
雨止。図書被見廻、篠原被誘引。
一 十三日
天気吉。津久井氏被見廻テ、八幡ヘ参詣被誘引。
一 十四日
雨降リ、図書被見廻終日。重之内持参。

芭蕉が黒羽に残した14日間の足跡
一 十五日
雨止。昼過、翁と鹿助右同道ニテ図書ヘ被参。是ハ昨日約束之故也。予ハ少々持病気故不参。
一 十六日
天気能。翁、館ヨリ余瀬ヘ被立越。則、同道ニテ余瀬ヲ立。及昼、図書・弾蔵ヨリ馬人ニテ被送ル。馬ハ野間ト云所ヨリ戻ス。此間弐里余。
おくのほそ道・旅の宿
鹿子畑翠桃邸跡
 
鹿子畑翠桃邸
(邸宅跡-上の写真)
翠桃邸跡入口の標柱
親族の墓地
翠桃の墓

浄法寺桃雪邸

(邸宅跡-下の写真)
桃雪邸跡の芭蕉句碑
大雄寺の桃雪の墓
4月3日(新暦5月21日)
  [宿泊先] 翠桃(鹿子畑高明)邸

4月4日〜10日(5月22日〜28日)
  [宿泊先] 桃雪(浄法寺高勝。図書)邸

4月11日〜14日(5月29日〜6月1日)
  [宿泊先] 翠桃邸

4月15日(6月2日)
  [宿泊先] 桃雪邸
第19集 芭蕉と那須野が原
芭蕉と黒羽について
芭蕉が黒羽に残した14日間の足跡
那須野が原にある芭蕉関連の碑
おくのほそ道関連地図帳 芭蕉と那須野が原
おくのほそ道関連地図帳 旧黒羽町-詳細
  

4月16日〜17日(新暦6月3日〜4日)

高久 -栃木県-
「おくのほそ道」本文からの情報   [資料]
是より殺生石に行。館代より馬にて送らる。此口付のおのこ、短冊得させよと乞。やさしき事を望侍るものかなと、
野を横に馬牽むけよほとゝぎす
(「殺生石」の章段)
「曽良随行日記」からの情報   [資料]
一 十六日
馬ハ野間ト云所ヨリ戻ス。此間弐里余。高久ニ至ル。雨降リ出ニ依、滞ル。此間弐里半余。宿角(覚)左衛門、図書ヨリ状被添。  

奥州道中 増補行程記

一 十七日
角(覚)左衛門方ニ猶宿。雨降。野間ハ太田原ヨリ三里之内鍋かけヨリ五、六丁西。
一 十八日
卯尅、地震ス。辰ノ上尅、雨止。午ノ尅、高久角(覚)左衛門宿ヲ立。
おくのほそ道・旅の宿
高久家
 
芭蕉真蹟懐紙の碑
高久・名主の高久覚左衛門宅

上の写真は、芭蕉一行が二宿した高久家で、下は、同家の庭の一隅に建つ真蹟懐紙の碑。

覚左衛門の墓がある高野山地蔵院高福寺
高福寺境内に建つ芭蕉と曽良の句碑
心身ともに旅の疲れを癒した芭蕉は、長逗留の黒羽に別れを告げ、4月16日(新暦6月3日)浄法寺桃雪(図書)が用立てた馬で殺生石を目指した。奥州街道に出たところの野間村まで乗馬の旅をし、道中、馬子の求めに応じて「野を横に」の句を書き与えた。
その後、越堀宿の出口手前から左に切れて那須街道を行き、途中、桃雪の紹介にて高久の名主覚左衛門宅に立ち寄ったが、降雨のため同家に宿泊した。翌日になっても天気が回復せず、引き続き覚左衛門宅に滞留した芭蕉は、宿りの礼に下記の句文を書き贈った。この真蹟懐紙は現在も高久家に保存されている。

みちのく一見の桑門同行二人那須の
篠原をたつねて猶殺生石みむとて
急き侍る程にあめ降り出ければ
此ところにとゝまり候。
           風羅坊
落くるやたかくの宿の郭公
木の間をのぞく短夜の雨  曽良
第19集 芭蕉と那須野が原
おくのほそ道関連地図帳 芭蕉と那須野が原
資料写真と解説那須/1(高久 宿泊の地/高福寺)
那須野が原にある芭蕉関連の碑
  

4月18日、19日(新暦6月5日、6日)

那須湯本 -栃木県-
「おくのほそ道」本文からの情報   [資料]
殺生石は温泉の出る山陰にあり。石の毒気いまだほろびず。蜂蝶のたぐひ真砂の色の見えぬほどかさなり死す。
(「殺生石」の章段)
「曽良随行日記」からの情報   [資料]
一 十八日
暫有テ快晴ス。馬壱疋、松子村迄送ル。此間壱リ。松子ヨリ湯本ヘ三リ。未ノ下尅、湯本五左衛門方ヘ着。
一 一九日
午ノ上尅、温泉ヘ参詣。(中略)夫ヨリ殺生石ヲ見ル。宿五左衛門案内。
一 廿日
朝霧降ル。辰中尅晴。下尅、湯本ヲ立。
おくのほそ道・旅の宿
旅館清水屋
 
芭蕉一行の殺生石までの行程図
那須湯本・五左衛門の旅籠屋

写真は、那須温泉の老舗旅館「清水屋」。芭蕉一行が二宿したと伝えられる「和泉屋」は、現在、当旅館の敷地の一部となっている。

芭蕉一行の殺生石までの行程図
4月18日(新暦6月5日)、朝の内に雨が止み、一行は正午頃湯本を目指し高久を後にした。芭蕉は覚左衛門が用立てた馬で松子まで行き、その後「三里」を歩いて午後2時半ごろ湯本に到着した。
湯本での止宿先は、殺生石から1kmほど離れた「和泉屋」だったと伝えられる。「和泉屋」は、湯本で五十五代にわたって湯宿を営んだ老舗だったが、昭和61年(1986年)に廃業し、現在、その敷地は隣りの旅館「清水屋」の一部になっている。「清水屋」も江戸期から続く湯宿で、この2つの宿屋の号は、芭蕉も「湯をむすぶ誓も同じ石清水」(曽良随行日記)と詠んだ当地の清水に由来すると言われる。
到着の翌日、芭蕉は宿主の案内で温泉神社に参詣し、その折神主の室井越中に出会った。温泉神社の神主は、古くから半年交代で越中氏と「和泉屋」人見氏が務め、芭蕉訪問の上半期は越中氏がその任に当たっていた。現在の神主も人見氏で「和泉屋」の後裔である。
第19集 芭蕉と那須野が原
殺生石の謂れと伝説について
資料写真と解説那須/3(湯本 殺生石)
那須野が原にある芭蕉関連の碑

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「奥州道中 増補行程記」展示室

盛岡市中央公民館所蔵

「奥州道中 増補行程記」展示室  「奥州道中 増補行程記」展示室

「おくのほそ道」の旅から60余年を経た街道界隈の風景が克明に記されています。


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