芭蕉について
 

  若き日の芭蕉

松尾芭蕉は、正保元年(1644年)伊賀上野赤坂町(三重県上野市)に松尾与左衛門の次男として生まれ、幼名を金作、後に宗房と名乗った。13歳のときに父が死去し、寛文2年(1662年)19歳のとき藤堂藩伊賀付侍大将・藤堂新七郎家に召し抱えられ、2歳年上の嫡子良忠(「蝉吟」と号す)に近習役として仕えた。

良忠が俳諧を嗜んだことが芭蕉に大きな影響を与え、19歳のときに、作年次がわかっている中で最も古い発句を詠んでいる。
廿九日立春なれば、
春や来し年や行けん小晦日


寛文4年(1664年)21歳のとき、松江重頼編「佐夜中山集」に「伊賀上野松尾宗房」として初めて次の二句が入集した。
姥桜咲や老後の思ひ出
月ぞしるべこなたへ入らせ旅の宿


寛文6年(1666年)4月、芭蕉が23歳のときに良忠が他界し、それをきっかけに藤堂家を離れ、以後、俳諧師としての道を歩み始めることになる。江戸に下るまでの間、兄半左衛門の家に住まいながら京に出向いて北村季吟に俳諧を学び、寛文12年(1672年)1月、29歳のときに処女撰集・三十番発句合「貝おほひ」を完成させ、伊賀上野の菅原社に奉納した。

【関連ページ】  「芭蕉と深川界隈」 芭蕉について


「おくのほそ道」と山寺/曽良随行日記
 

「おくのほそ道」と山寺
元禄2年(1689年)5月27日(新暦7月13日)〜5月28日(新暦7月14日)
曽良随行日記<原文> 現代語
廿七日
天気能。辰ノ中尅、尾花沢ヲ立テ立石寺ヘ趣。清風ヨリ馬ニテ舘岡(楯岡)迄被送ル。尾花沢。二リ、元飯田(本飯田)。一リ、舘岡(楯岡)。一リ、六田。馬次間ニ、内藏ニ逢。二リよ、天童(山形ヘ三リ半)。一リ半ニ近シ。山寺。未ノ下尅ニ着。宿預リ坊。其日、山上・山下巡礼終ル。是ヨリ山形ヘ三リ。山形ヘ趣カン(ト)シテ止ム。是ヨリ仙台ヘ趣路有。関東道、九十里余。
 
一 廿八日
馬借テ天童ニ趣。六田ニテ、又内藏ニ逢。立寄ば持賞ス。未ノ中尅、大石田一英宅ニ着。両日共ニ危シテ雨不降。上飯田(本飯田)ヨリ壱リ半、川水出合、其夜、労ニ依テ無俳、休ス。
廿七日
天気よし。午前8時頃、尾花沢を立って立石寺へ趣く。清風差し向けの馬にて楯岡(村山市内)迄送られる。尾花沢。二里、元飯田(本飯田。村山市内)。一里、楯岡。一里、六田。馬継間に、内藏に逢う。二里余り、天童(山形へ三里半)。一里半に近し。山寺。午後2時半頃に着く。宿は「預リ坊」。その日の内に、山上、山下の巡礼を終える。是より山形へ三里。山形ヘ趣こうとしたが止める。是より仙台ヘ趣く路有り。関東道、九十里余り。
 
一 廿八日
馬借りて天童に趣く。六田にて、又内藏に逢う。立寄ってもてなしを受ける。
午後2時頃、大石田・一英宅に着く。両日共に降りそうで降らず。上飯田(本飯田)より壱里半ばかりのところで川水(大石田の大庄屋)に出合う。その夜、疲労により俳諧なく、休息する。
◇一里:約4km ◇一丁(町):約109m ◇一間:約1.8m

 

 
  
俳聖 松尾芭蕉・みちのくの足跡
総合目次


第1集 芭 蕉 と 山 寺
スタートページ

Copyright(C) 1998-2000  LAP Edc. SOFT.  All Rights Reserved.
 
Maintained online by
webmaster@bashouan.com