慈覚大師円仁について
慈覚大師の廟所・開山堂 円仁は、延暦13年(794年)下野国都賀郡(栃木県下都賀郡)の豪族・壬生氏に生まれ、9歳から都賀郡小野の大慈寺の住職広智について修行を積み、大同3年(808年)、15歳で比叡山に登って伝教大師最澄の弟子となった。

承和5年(838年)遣唐船で唐に渡り、山東省の赤山法華院や福建省の開元寺、中国仏教三大霊山に数えられる五台山で修行し、承和14年(847年)に帰
国した。長安滞在中、唐の十五代皇帝武宗の仏教排斥にあい苦渋を強いられたが、円仁は、在唐9年間の紀行を日記「入唐求法巡礼行記」全4巻にまとめ、帰国後、当時の中国の有り様を克明に伝えた。当書は、マルコポーロの「東方見聞録」、玄弉三蔵の「西遊記」とともに、三大旅行記として高く評価されている。

帰国後、円仁は朝廷の信任を得、斉衡元年(854年)61歳の時に延暦寺の座主(江戸期までの大寺の住職の公称。官命により補任)となり、清和天皇に菩薩戒(大乗の菩薩としての心構えなるもの)を授けた。後に「金剛頂経疏」などを著したが、貞観6年(864年)に71歳で没した。その2年後の貞観8年(866)、生前の業績を称えられ、円仁に日本で初の大師号・慈覚大師の諡号(しごう)が授けられた。

関東以北には、日光山、埼玉県川越市の喜多院、福島県伊達郡の霊山寺、松島の瑞巌寺、山形市の立石寺、岩手県平泉町の中尊寺毛越寺、秋田県象潟町の蚶満寺、青森県恐山の円通寺など、慈覚大師が開祖(または中興)とされる寺が数多くあり、立石寺のある山形県においては、山形市の柏山寺や千歳山・万松寺、南陽市二色根の薬師寺など10を越える寺を開いている。これは、慈覚大師が天長6年(829年)から天長9年(832年)まで東国巡礼の旅に出、この折に、天台の教学を広く伝播させたことが大きな基盤となっている。


 
  
俳聖 松尾芭蕉・みちのくの足跡
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第1集 芭 蕉 と 山 寺
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