芭蕉について
 
芭蕉が二泊した金森家
二夜庵跡 随行日記には、芭蕉一行が一関のどこに止宿したかについての記述はないが、磐井橋近くにあった金森家と伝えられている。しかし、金森家は隣接して二軒あったとされ、そのいずれに芭蕉が二泊したかについては定かではない。

その内の一軒が、天明年間(1781年〜1789年)を中心に一関俳壇で活躍した金森才良宅で、才良は芭蕉の作風を慕って蕉門を名乗り多く
の門人を育てた。当家では、才良のほかに分字、世竹、竹人の四代が俳人だったと伝えられる。

もう一軒の金森家も俳人一家として知られ、江戸中期から明治にかけて、文魚、卓人、常丸といった俳人を出している。常丸は、芭蕉が当地に二泊したという謂れから屋敷の庵を「二夜庵」と呼んだというが、「二夜庵」は既になく、現在、跡地は上の写真のように駐車場に利用されている。  

「おくのほそ道」と平泉/曽良随行日記
 

「おくのほそ道」と一関平泉
元禄2年(1689年)5月12日(新暦6月28日)〜5月14日(新暦6月30日)
曽良随行日記<原文> 現代語
一 十二日
曇。戸今を立。三リ、雨降出ル。上沼新田町(長根町トモ)三リ、安久津(松島ヨリ此迄両人共ニ歩行。雨強降ル。馬ニ乗)一リ、加沢。三リ、皆山坂也。一ノ関黄昏ニ着。合羽モトヲル也。宿ス。
 
一 十三日
天気明。巳ノ尅ヨリ平泉ヘ趣。一リ、山ノ目。壱リ半、平泉ヘ以上弐里半ト云ドモ弐リニ近シ(伊沢八幡壱リ余リ奥也)。高館衣川・衣ノ関・中尊寺・(別当案内)光堂(金色寺)泉城・さくら川・さくら山(束稲山)・秀平やしき等ヲ見ル。泉城ヨリ西霧山見ゆルト云ドモ見ヘズ。タツコクガ岩ヤヘ不行。三十町有由。月山白山ヲ見ル。経堂ハ別当留主ニテ不開。金鶏山見ル。シミン堂(新御堂)无量劫院跡見、申ノ上尅帰ル。主、水風呂敷ヲシテ待、宿ス
 
一 十四日
天気吉。一ノ関(岩井郡之内)ヲ立。
一 十二日
曇り。戸今(登米)を立つ。三里、雨降り出す。上沼新田町(長根町とも)三里、安久津(松島よりここ迄両人共に歩行。雨強く降る。馬に乗る)一里、加沢(金沢。岩手県西磐井郡花泉町内)。三里、皆山坂也。一の関に夕方着く。雨強く合羽も通る程也。宿す。
 
一 十三日
天気よし。午前10時頃より平泉ヘ趣く。一里、山の目。一里半、平泉ヘ、以上二里半というが二里に近い(伊沢八幡は一里余リ奥)。高館、衣川、衣ノ関、中尊寺、(別当案内)光堂(金色寺)・泉城・さくら川・さくら山(束稲山)、秀平やしき等を見る。泉城より西に霧山が見えるというが見えず。達谷が岩窟へ行かず。三十町有る由。月山、白山を見る。経堂は別当留主にて開かず。金鶏山見る。シミン堂(新御堂。無量光院のこと)、无量劫院(無量光院)跡を見、午後4時頃帰る。宿の主人、風呂を準備して待つ、宿す。
 
一 十四日
天気よし。一の関(岩井郡の内)を立つ。
◇一里:約4km ◇一丁(町):約109m ◇一間:約1.8m

 

 
  
俳聖 松尾芭蕉・みちのくの足跡
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第3集 芭 蕉 と 平 泉
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