平泉資料写真と解説(3)

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中尊寺本堂山門 中尊寺本堂山門。

東物見から更に進むと本堂の山門が参道の右に見えてくる。本堂は、中尊寺一山の中心となる堂宇で、多くの宗教儀式はここで行われる。建武4年(1337年)の野火で多くの堂や塔とともに本堂も焼失したが明治42年(1909年)に再建されている。

山門をくぐる
金色堂・覆堂

金色堂(光堂)は中尊寺創建当初の唯一の遺構で、堂の内外ともに厚く黒漆が塗られ、その上に一面に金箔が押されている。明治30年(1897年)の修理の際、棟木の墨書銘が発見され、天治元年(1124年)に落成したことが明らかになった。天治元年は清衡が亡くなる4年前で、69歳の時にあたる。
 
金色堂の脇の芭蕉句碑
中尊寺金色堂(覆堂)
経蔵 経蔵。

本尊の騎獅文殊菩薩像と従者の四眷属像を安置する経蔵。天治3年(1126年)に2階瓦葺として建立されたが、建武4年(1337年)の火災で2階部分が焼け、1階部分を修復して現在に至っている。
芭蕉像。

「おくのほそ道三百年・芭蕉祭」を記念して、平成元年5月13日、金色堂旧覆堂脇に建てられた。製作者は、東京芸術大学助教授(当時)の戸津圭之介氏。
 
芭蕉像写真展示室
芭蕉像
金色堂旧覆堂 金色堂旧覆堂。

新覆堂建設の際、現在地に移築された。「金色堂建立から164年後の正応元年(1288年)に、鎌倉幕府が風雪から護る為に建造した」と説明されるが、解体調査の結果、「建築様式から判断して旧覆堂は建造年代を鎌倉時代までさかのぼることができない」とされている。

白山神社本殿。
 
金色堂の向かい側に白山神社の朱色の鳥居が建ち、そこから神社への参道が続いている。
縁起によれば、白山神社は嘉祥3年(850年)中尊寺の開祖である慈覚大師が加賀の白山神社から分霊し、大師自ら十一面観音を作って中尊寺の鎮守白山権現と号した。藤原秀衡の持佛である運慶作正観音と源義経の持佛である毘沙門天が祭られていたが嘉永2年(1847年)の火災で焼失した。

 
白山神社・能楽堂
白山神社本殿


 
  
俳聖 松尾芭蕉・みちのくの足跡
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第3集 芭 蕉 と 平 泉
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