平泉資料写真と解説(9)

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高館 高館。

高館は、中尊寺の東南にある丘陵で、高さは67m。
判官館または衣川館と呼ばれる高館は、その昔、源義経が藤原秀衡を頼って下向した時に居城したところで、文治5年(1189年)4月秀衡の子泰衡によって、家臣や妻子もろとも攻め滅ぼされたところでもある。
高館義経堂・標柱。

石段を上がって左に行くと源義経像を祭る義経堂があり、反対側に「おくのほそ道」碑がある。義経堂は天和3年(1683年)、仙台藩四代藩主伊達綱村により建立され、芭蕉はその6年後にこの義経堂を訪れている。
高館義経堂・標柱
高館からの俯瞰 高館からの俯瞰。

高館からは、「おくのほそ道」で「北上川南部より流るゝ大河也」と書かれた北上川が見え、その先に桜の名所として知られた束稲山が望まれる。
 
高館から北の方角を見る
古戦場から高館を見る

中尊寺側から高館を見る
  
「おくのほそ道」碑。

石碑には、芭蕉の句と「おくのほそ道」の平泉の段が刻まれている。元禄2年(1689年)の夏、芭蕉は曽良とともにこの高館を訪れ、義経主従を通して「夏草や兵どもが夢の跡」と詠んで人の世の興亡を儚み、曽良は家臣兼房の忠義心を称えて「卯の花に兼房みゆる白毛かな」と詠んでいる。
 
離れた位置から見る
卯の花清水(曽良句碑)
「おくのほそ道」碑
高館義経堂 高館義経堂。

悲運の将、義経を祭る義経堂。
義経は、平泉から頼朝の挙兵に参陣して源義仲を討ち、さらには源平合戦で平氏を滅ぼすが、兄頼朝はこれらを勲功として認めず、逆に追われる身となった。そこで秀衡を頼って平泉に向かうが、秀衡はまもなく病死する。子泰衡は、頼朝の圧力に屈し家臣を大将にして義経を急襲させ、義経は
31歳にしてこの高館で自刃した。
甲冑姿の源義経像。

義経像は、義経堂が天和3年(1683年)綱村により建立される前から存在していたことから、義経を弔う御堂は、それ以前にも存在していたと見られる。
 

高館宝物館
源義経物語
甲冑姿の源義経像


 
  
俳聖 松尾芭蕉・みちのくの足跡
総合目次


第3集 芭 蕉 と 平 泉
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