芭蕉について
 

松島・石巻間の逸話

芭蕉か曽良かは不明だが、石巻街道を通行中、小野・石巻間の矢本新田で咽が乾き、家々にお湯を求めたがどの家でも断られ与えてもらえなかったと、曽良の随行日記に記されている。

しかし状況が一転し、通行中の刀をさした侍が救いの手をさしのべた。侍は、咽の乾きで苦しむ姿を憐れんで、一町(約109m)ほど戻って知人宅に行き、湯を与えるように頼んでくれた。侍の名は今野源太左衛門で、小野郷根古村に住む五百石伊東肥前の家臣だったらしい。

知人宅でもなければ、土地の人さえこうした頼みごとができない当時の世相のもとでは、「乞食順礼ごときの人」(おくのほそ道)が突然戸を叩いても、おいそれと応じてもらえる筈がなかった、ということになるだろう。

源太左衛門は、宿泊先についても助け舟を出し、石巻の新田町で「四兵へ(四兵衛)」なる人物を訪ね止宿を依頼するよう言い残して一行と別れた。その後のことについて、随行日記には「如教、四兵ヘヲ尋テ宿ス(教えられるまま四兵ヘを尋ねて宿す)」とあるが、「おくのほそ道」には「思ひがけず斯る所にも来れる哉と、宿からんとすれど、更宿かす人なし。」と書かれている。
 


「おくのほそ道」と石巻・登米/曽良随行日記
 

「おくのほそ道」と石巻登米
元禄2年(1689年)5月10日(新暦6月26日)〜5月12日(新暦6月28日)
曽良随行日記<原文> 現代語
一 十日
快晴。松島立(馬次ニテナシ)。馬次、高城村(間廿丁計)、(是ヨリ桃生郡)小野(弐里半)。石巻(四里余)。仙台ヨリ十三里余。小野ト石ノ巻(牡鹿郡)ノ間、矢本新田ト云町ニテ咽乾、家毎ニ湯乞共不与。刀さしたる道行人、年五十七、八、此躰を憐テ、知人ノ方ヘ壱町程立帰、同道シテ湯を可与由ヲ頼。又、石ノ巻ニテ新田町、四兵ヘと尋、宿可借之由云テ去ル。名ヲ問、小野ノ近ク、ねこ(根古)村、コンノ(今野)源太左衛門殿。如教、四兵ヘヲ尋テ宿ス。着ノ後、小雨ス。頓テ止ム。日和山と云ヘ上ル。石ノ巻中不残見ゆル。奥ノ海(今ワタノハ「渡波」ト云)・遠島・尾駮ノ牧山眼前也。真野萱原も少見ゆル。帰ニ住吉ノ社参詣。袖ノ渡リ、鳥居ノ前也。
 
一 十一日
天気能。石ノ巻ヲ立。宿四兵ヘ、今一人、気仙ヘ行トテ矢内津迄同道。後、町ハヅレニテ離ル。石ノ巻、二リ鹿ノ股(一リ余渡有)、飯野川(三リニ遠し。此間、山ノアイ、長キ沼有)。曇。矢内津(一リ半。此間ニ渡し二ツ有)。戸いま(伊達大蔵)、儀左衛門宿不借、仍
検断告テ宿ス。検断庄左衛門。
 
一 十二日
曇。戸今を立。三リ、雨降出ル。上沼新田町(長根町トモ)三リ、安久津(松島ヨリ此迄両人共ニ歩行。雨強降ル。馬ニ乗)一リ、加沢。三リ、皆山坂也。一ノ関黄昏ニ着。合羽モトヲル也。宿ス。
一 十日
快晴。松島を立つ(馬継にて無し)。馬継、高城村(その間廿丁ばかり)、(是より桃生郡)小野(二里半)。石巻(四里余)。仙台より十三里余。小野と石巻(牡鹿郡)の間の矢本新田で咽乾き、家毎に湯を乞うが与えず。刀をさした道行人、年五十七、八、此躰を憐れみ、知人の方へ壱町程立ち帰り、同道して湯を与えるよう頼む。又、石巻で新田町の「四兵へ」を尋ね宿を借りるよう云って去る。名を問えば、小野の近く根古村、今野源太左衛門殿。教えられるまま四兵ヘを尋ねて宿す。到着後、小雨。頓て(とみて。すぐに)止む。日和山と云う山に上る。石巻中見渡し得る。奥の海(今「渡波」と云う)・遠島(牡鹿半島)・尾駮(おぶち)の牧山眼前也。真野萱原も少し見える。帰りに住吉神社参詣。袖の渡り、鳥居の前也。
 
一 十一日
天気よし。石の巻を立つ。宿主の四兵ヘ、今一人、気仙(岩手県陸前高田市)へ行く同宿の者と矢内津(柳津。本吉郡津山町)迄同道。後、町はずれで別れる。石巻から二里に鹿ノ股(鹿又。桃生郡河南町)(一里余に渡し有り)、飯野川(三里より遠し。此間、山あいに、長き沼有)。曇。矢内津(柳津)(一里半。此間に渡し二つ有)。戸いま(登米郡登米町)(登米領主伊達大蔵)、儀左衛門宿借さず、よって検断に告げて宿す。検断庄左衛門。
 
一 十二日
曇り。戸今(登米)を立つ。三里、雨降り出す。上沼新田町(長根町とも)三里、安久津(涌津。岩手県西磐井郡花泉町内)(松島よりここ迄両人共に歩行。雨強く降る。馬に乗る)一里、加沢(金沢。花泉町内)。三里、皆山坂也。一の関に夕方着く。雨強く合羽も通る程也。宿す。
◇一里:約4km ◇一丁(町):約109m ◇一間:約1.8m

 

 
  
俳聖 松尾芭蕉・みちのくの足跡
総合目次


第20集 芭 蕉 と 石 巻
スタートページ

Copyright(C) 2001  LAP Edc. SOFT.  All Rights Reserved.
 
Maintained online by
webmaster@bashouan.com