芭蕉は石巻で金華山を見たか
日和山からの視界

日和山からの眺望
「おくのほそ道」に旅立つ前、曽良が名所・旧跡を下調べして書いた「名勝備忘録」があり、これに金華山のことが「仙台から見えるが、石巻や松島からは猶近くに見える」と書かれている。

金花山。仙台ヨリモ見ユル。石ノ巻・松島ヨリハ猶近ク見ユル。高山也。嶋也。

ところが、日和山からの眺望を詳細に記した曽良随行日記五月十日の条では、金華山について何も触れられていない。

日和山と云ヘ上ル。石ノ巻中不残見ゆル。奥ノ海(今ワタノハ「渡波」ト云)・遠島(牡鹿半島)・尾駮ノ牧山眼前也。真野萱原も少見ゆル。帰ニ住吉ノ社参詣。袖ノ渡リ、鳥居ノ前也。

これは、「石ノ巻・松島ヨリハ猶近ク」見える筈の金華山が、余りに遥かな存在で、可視・不可視の判断がつかなかったことを意味しているように思われる。

金華山黄金山神社の社務所に取材して分かったことだが、

むかしは金華山が日和山から見えるとも見えないとも言われ、「見えない」ことが明らかとなったのは、なんと昭和30年代に行われた実地測量の結果からだった。こうしたことが新聞で取り上げられ当時話題になったそうだが、40年以上も前のことなので、具体的な新聞名などは思い出していただけなかった。

地理的に見れば、金華山は牡鹿半島にすっぽりと隠れ、すぐに見えない判断がつきそうだが、金華山や半島の山々の標高を考えれば状況的には確かに微妙である。さらに、写真に見るように肉眼で眺めるには余りに遠すぎる。これらのことから、当時、余所人(よそびと)は言うに及ばず、土地の人にとっても、見えるか、見えないかは不明とされていたのだろう。

芭蕉は、こうした背景の中、次のように「おくのほそ道」に叙述し、曖昧とした金華山を鳥瞰的三次元空間の中に遠景として浮かび上がらせることをした。これにより、石巻の章段は、「こころ細いみちのくの旅」のイメージ映像の繋ぎどころに、奥州一の米の集積港「石巻」の繁昌ぶりを一大パノラマとして映し出す「見せ場」となった。

石の巻といふ湊に出。「こがね花咲」とよみて奉たる金花山、海上に見わたし、数百の廻船入江につどひ、人家地をあらそひて、竈の煙立つゞけたり。


 
  
俳聖 松尾芭蕉・みちのくの足跡
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第20集 芭 蕉 と 石 巻
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