石巻資料写真と解説(2)

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鹿島御児神社 鹿島御児神社。

日和山の頂に鎮座する鹿島御児神社。延喜式神名帳に名を連ねる式内社で、武甕槌命、鹿島天足別命の親子2柱を祭神とし、安産の神、海上安全の守護神などとして広く崇敬を集めている。

社殿
神社境内の芭蕉句碑。

雲折々人を休めるつきみかな

上の鳥居をくぐってすぐのところから右手を見ると幹を斜にした松の木があり、その根元に芭蕉句碑がある。上の句は貞享2年(1685年)に詠んだとされるもので、貞享3年8月下旬刊行の山本荷兮編「春の日」に採録されている。

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雲折々人を休めるつきみかな (芭蕉)
宮沢賢治詩碑 宮沢賢治詩碑。

明治45年(1912年)5月27日、宮沢賢治は中学校4年の修学旅行で盛岡から北上川を川蒸気で下り、石巻の日和山からはじめて海を眺めた。碑に刻まれた詩はそのときの感動を綴ったもの。賢治は、詩人、童話作家で、「雨ニモマケズ」の詩や「銀河鉄道の夜」、「風の又三郎」は賢治の代表作として知られる。
  
碑文参照
 

斎藤茂吉歌碑。
  
わたつみに北上川の入るさまのゆたけきを見てわが飽かなくに
  
斎藤茂吉は明治15年(1882年)山形県金瓶村(現上山市)に生まれ、雑誌「アララギ」発刊の伊藤左千夫に師事。「赤光」、「あらたま」、「白き山」等の歌集を出版した。「柿本人麿」の研究で高名。東大医科出身で、留学後青山脳病院長となる。歌は茂吉が昭和6年(1931年)11月の石巻来遊時に詠んだもの。

斎藤茂吉歌碑
石川啄木歌碑 石川啄木歌碑。
  
砕けてはまたかへしくる大波のゆくらゆくらに胸おどる洋
  
明治19年(1886年)生まれ。盛岡中学校に入学後、金田一京助らに文学的影響を受け上京。翌年帰郷し処女詩集「あこがれ」を刊行。後、渋民尋常高等小学校の代用教員、新聞社勤務を経て上京。歌集「一握の砂」を刊行。明治45年
(1912年)4月、26歳で没。啄木の死から2ヶ月余後、歌集「悲しき玩具」が刊行された。上の歌は啄木が明治35年(1902年)5月の修学旅行時に詠んだもの。
種田山頭火の歌碑
  
水底の雲もみちのくの空のさみだれあふたりわかれたりさみだるヽ

  
明治15年(1882年)、山口県佐波郡(現防府市)に生まれる。大正13年(1924年) 43歳で禅門に入り2年後放浪の旅に出る。 荻原井泉水に師事。全国を漂泊し「草木塔」などの句集を刊行。 昭和15年(1940年) 59歳で没した。
昭和11年(1936年)、
山頭火芭蕉と同じ6月26日(旧暦5月10日)に石巻を訪れこの歌を詠んだ。歌碑には旅日記同日条からの一節「早い朝湯にはいってから日和山の展望をたのしむ美しい港の光景である」も刻まれている。
種田山頭火の歌碑


 
  
俳聖 松尾芭蕉・みちのくの足跡
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第20集 芭 蕉 と 石 巻
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