登米資料写真と解説(1)

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「登米」の読み方について
登米郡は「とめぐん」、登米町は「とよままち」と呼び、町関係の施設等は「とよま」、国や県などについては「とめ」と区別されている。
芭蕉一宿の碑へ 芭蕉一宿の碑へ。

写真は、登米大橋の西詰付近。店の角に「芭蕉一宿の碑」と書かれた道標がある。店の前を通る国道342号線(一関街道)は西側で北方向へ直角に折れる。
北方向

写真の位置から前方に進んで北上川の土手を左に曲がると、50mほど先に芭蕉一宿の碑がある。
一宿の碑(左)と北上川。

元禄2年(1689年)5月11日(新暦6月27日)、芭蕉と曽良は一関街道を北上し、渡し舟で登米に辿り着いた。しかし、予定していた儀左衛門宅では宿泊できず、検断(村役人)の庄左衛門に事情を話して宿を借りた。
矢内津(一リ半。此間ニ渡し二ツ有)。戸いま(伊達大蔵)、儀左衛門宿不借、仍検断告テ宿ス。検断庄左衛門。(曽良随行日記)
一宿の碑と北上川
一宿の碑 一宿の碑。

「芭蕉翁一宿之跡」の碑は、もと検断屋敷跡に建てられていたが、大正元年(1912年)の北上川改修工事の時に屋敷跡が堤防に埋もれたため、史跡保存の目的で写真の位置に昭和9(1934年)年9月に建て直された。碑文は俳人河東碧梧桐筆。

一宿の碑拡大
一宿の地碑。

登米町に芭蕉が宿泊したことを記念する「奥の細道一宿の地」碑。登米町では、芭蕉の一宿を記念して昭和26年から、6月の第4日曜日に「登米芭蕉祭俳句大会」が開かれている。碑の背後の建物は、国の重要文化財に指定されている旧登米高等尋常小学校校舎。

一宿の地碑拡大
一宿の地碑
歌枕説明碑 歌枕説明碑。

「奥の細道一宿の地」碑の脇に、「おくのほそ道」の石巻の章段に書かれた歌枕「袖のわたり」、「尾ぶちの牧」、「まのの萱はら」と「戸伊摩(登米)」について説明した石碑が置かれている。


 
  
俳聖 松尾芭蕉・みちのくの足跡
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第20集 芭 蕉 と 石 巻
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