登米資料写真と解説(2)

「資料写真と解説」で扱っている写真は、すべてLAP Edc. SOFTが撮影したものです。
掲載している写真の使用を希望される場合は、「使用条件のページ」をご参照ください。

武家屋敷通り 武家屋敷通り。

登米は登米伊達氏二万一千石の城下町として栄え、今も町内には、当時の武家屋敷の門や白壁の蔵、古い商家の建物、旧登米高等尋常小学校の校舎など、江戸や明治・大正の文化を香らす建物がいたるところに見られる。
「一宿庵の記」碑。

写真は、旧水沢県庁舎(明治4年建立)の敷地に建つ「一宿庵の記」碑。碑には次の碑文と歴代の一宿庵を名乗った人々の名前が刻まれている。

元禄二年、芭蕉翁おくのほそ道行脚の折、戸伊摩(登米)に一宿せしを記念し、宝暦のころ、登米の俳人、金指紋兵衛が一宿庵を称えた。これは庵を建てたのではなく、芭蕉翁の一宿の由縁を伝承する為の庵号にして、現在二十代に至る。町制施行百周年、おくのほそ道紀行三百年にあたり、歴代一宿庵の名を掲げ、これを記す。
「一宿庵の記」碑
登米神社 登米神社。

応神天皇、田心姫命などを祭る神社で、その由来が説明板に次のように記されている。
八幡宮は天喜年中鎮守府将軍源頼義が賊徒征伐の時に、鏃(やじり)を神体として戦勝を祈願した辺室山の浄地に、康平五年(1064年)頼義の嫡子義家が、山城国鳩峰に鎮座せる岩清水八幡宮を勧請分遷したもので、後世その地を八幡崎と呼んだ。文治五年(1189年)藤原泰衡没落後、葛西三郎清重がこの地方を領有するに方り、八幡宮を七郡の総鎮守葛西家累代の守護神として尊崇した。
登米神社・社殿。

(上から) 天正十八年(1590年)葛西家散亡の運命となり慶長九年(1604年)仙台藩の伊達相模守宗直が本領主として移城するにおよび同十一年(1606年)八幡宮を八幡崎から寺池道場山麓に遷座した。更に享保七年(1722年)六代伊達村永が社殿を現在の山上に移築し歴代領主の守護神として尊敬し引継がれた。
 

随身門
登米神社・社殿
芭蕉句碑 芭蕉句碑。

降らずとも竹植うる日は蓑と笠

登米神社境内の芭蕉句碑。明和7年(1770年)建立。上の句は、芭蕉没後の元禄8年(1695年)に刊行された壷中・芦角編「木がらし」に採録されたもので、作年次は未詳。

句碑拡大


 
  
俳聖 松尾芭蕉・みちのくの足跡
総合目次


第20集 芭 蕉 と 石 巻
スタートページ

Copyright(C) 2001  LAP Edc. SOFT.  All Rights Reserved.
 
Maintained online by
webmaster@bashouan.com