奥州上街道資料写真と解説(1)

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奥州上街道に芭蕉の足跡を訪ねて [1]
一関市台町   →   蔵主沢   →   刈又一里塚
一関市台町 一関市台町

元禄2年(1689年)5月13日(新暦6月29日)平泉の旅を果した芭蕉は、同夜地主町(一関市)に二泊目の宿をとり、翌朝、岩出山を目指して旅立った。まず奥州街道に出て台町(一関市)の追分地点まで南下し、そこで奥州街道と分かれ奥州上街道に足を踏み入れた。
左の道が上街道。この位置から100mほど先の旧国道4号(奥州街道)と分岐するところ(左図参照)が江戸期の追分で、当時は道標もそこにあった。


  
  

道標は元文元年(1736年)の建立で「これ従(より)右ハはざま道、左ハせんだい道」の文字が刻されている。右の写真は、道標の向い側に建つ標柱。
「松尾芭蕉紀行の道」の標柱
蔵主沢の奥州上街道 蔵主沢の奥州上街道。

台町の追分から3kmほど南下すると蔵主沢(一関市)に至る。写真の右の山道が奥州上街道で、登り口が「女ころし坂」と呼ばれた坂道。しかし、こうした名称も今は昔語りで、現実の旧道は生い茂る雑草に覆い尽くされ、路肩さえ失いかけている。
刈又一里塚へ。

蔵主沢から市道で刈又に向かう。東北自動車道のガードをくぐってしばらく行くと、道路の右側に「奥の細道」の標柱と刈又一里塚の説明板が見えてくる。標柱の左側の奥州上街道を100mほど行って「ひじまがり坂」を登る。   
刈又一里塚へ
刈又一里塚 刈又一里塚。

500mほど登って峰まで行くと、右手に「おくのほそ道」の冒頭を刻む石碑が建ち、その前方に一対の一里塚がある。
 
「おくのほそ道」碑
刈又一里塚。

一里塚は江戸初期ごろのものと伝えられ、東側の塚は刈又地区、西側が古田地区に含まれている。高さは両方ともに3,4mあり、頂きに比較的若い杉や雑木が生えている。古田側の塚には数百年の齢(よわい)を数えたと見える古木の切り株が残され、往時の面影を伝えている。
刈又一里塚


 
  
俳聖 松尾芭蕉・みちのくの足跡
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第21集 芭蕉と出羽越え
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