岩出山資料写真と解説(2)

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奥州上街道に芭蕉の足跡を訪ねて [4]
岩出山・天王寺一里塚 →  岩出山・天王寺追分
天王寺一里塚 天王寺一里塚。

天王寺追分から約1.5km北寄りに対をなして堂々と構える天王寺一里塚がある。岩出山地内で一里塚が築かれたところは、堂の沢と赤新田と天王寺であるが、現存するのはこの天王寺一里塚のみ。
天王寺一里塚。

旅人に里程を知らせるため、各街道の両側に一里ごとに築かれた一里塚は都市化とともに消滅しているが、一里塚や風化しかかった道標は原風景の点景に相違なく、難儀した旅人の汗さえ沁みるこれらの文化遺産は、未来に向けて確実に伝え残すべきものだろう。
天王寺一里塚
天王寺追分 天王寺追分。

この先が奥州上街道の西端・天王寺追分。一関の台町で奥州街道から分流し、数々の起伏を見せながら岩出山まで道を延ばした奥州上街道は、天王寺のこの地点で出羽街道中山越と合流しその道筋を絶つ。   


天王寺追分。

分岐点には、江戸期に道標を兼ねて建てられた山神塔のほか、「おくのほそ道」のルート図などが建てられている。旧岩出山町教育委員会刊の「岩出山のむかしかたり」によれば、追分付近に、大正の初期まで「たまを茶屋」という店があって、川渡温泉や鳴子温泉に往来する旅人の休憩所に利用され繁盛したという。
天王寺追分
出羽街道中山越 出羽街道中山越。

出羽街道中山越は、吉岡宿で奥州街道から分岐し、中新田、岩出山、尿前を経て堺田に至る。この道筋は、現在の国道47号線とほぼ同じルートを辿り、羽州街道と舟形町(山形県)で合流する。

芭蕉はこの道から鳴子方面へ向かった。


 
  
俳聖 松尾芭蕉・みちのくの足跡
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第21集 芭蕉と出羽越え
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