鳴子資料写真と解説(2)

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尿前の関跡関連 [1]
芭蕉が渡し場で舟を降りてから裏門を出るまで。
芭蕉、尿前の関へ 芭蕉、尿前の関へ。

家並の見えるところが尿前の関が置かれた遊佐氏の屋敷跡で、この一角のすべてが子孫の方の住まいとなっている。芭蕉と曽良は、江合川を渡ってこの位置に出、通行手形を所持しないまま番所の表門へと向かった。今は川を渡ってこの位置に出ることはできない。

鳴子と尿前の関について
尿前の関・表門跡。

出羽街道中山越の道は番所の中を通り、表門と裏門に遊佐氏一族と村人が配置され、夜中は鍵をかけて通行不能にした。番所には、岩出山伊達家の役人が詰めていた。写真は表門跡に残る石垣。

石垣の写真
尿前の関・表門跡
関所を貫いた関道 関所を貫いた関道。

この周囲全体が遊佐氏の屋敷跡で、幕末ごろの規模は、間口40間、奥行44間、面積1,760坪で、周囲は石垣の上に土塀がめぐらされ、屋敷内には長屋門、役宅、厩、酒蔵、土蔵、板倉など10棟の建物があった。
尿前の関・裏門跡。

近辺に尿前宿が設けられ、人馬の補充や継立が行われた。明治9年(1876年)の「玉造郡地誌」に、宿駅の規模が「東西一町二十間、南北三十八間、道幅二間乃至二間半。戸数十三戸。人数男三十一人、女四十八人、総計七十九人」と書かれている.。番所の裏門跡に、遊佐氏の子孫の方が営む「関の茶屋」がある。

関の茶屋
尿前の関・裏門跡
出羽街道中山越 出羽街道中山越。

通行を許された芭蕉と曽良は、裏門を出て急勾配の尿前坂、薬師坂を登り、岩手の森に入って行った。
なるごの湯より尿前の関にかゝりて、出羽の国に越んとす。此路旅人稀なる所なれば、関守にあやしめられて、漸として関をこす。
(おくのほそ道)


 
  
俳聖 松尾芭蕉・みちのくの足跡
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第21集 芭蕉と出羽越え
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