尾花沢資料写真と解説(1)

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市野々(山刀伐峠・尾花沢側登山口)から清風邸跡まで [1]
山刀伐峠登山口(市野々) − 背坂峠越えの道との合流地点 − 関谷番所跡 
山刀伐峠の登山口 山刀伐峠の登山口。

元禄2年(1689年)5月17日(新暦7月3日)、芭蕉は「おくのほそ道」最大の難所となった山刀伐峠越えを果たし、「最上の庄」に到着した。「おくのほそ道」に、この折の紀行が「高山森々として一鳥声きかず、木の下闇茂りあひて夜る行がごとし。雲端につちふる心地して、篠の中踏分踏分、水をわたり岩に蹶て、肌につめたき汗を流して、最上の庄に出づ。」と記されている。
市野々・登山口広場。

広場を兼ねた駐車場の一角に、平成10年(1998年)に建立された俳人田川飛旅子(ひりょし。平成11年4月没)の「山刀伐に立つ初蝉に取りまかれ」の句碑が建てられている。

市野々・登山口広場
鈴木清風邸を目指した道 鈴木清風邸を目指した道。

芭蕉一行が清風邸を目指した道は、翁峠(翁山。1075m)、二ツ森(742m)、金山(763m)、豊立山(377m)などの山裾を縫って登山口から押切地区まで延々と続く。その距離7km余り。登山口の前を走る道は、芭蕉が歩いた旧道とほぼ同じ道筋をたどる県道・尾花沢最上線。
市野々バス停付近。

登山口から2kmほど南下したところに、尾花沢最上線を走るバス路線の北の終点、市野々バス停がある。写真に見える横断歩道を南側(左)から見たのが下の写真。
市野々バス停付近
背坂峠越えの道 背坂峠越えの道(1)。

市野々バス停付近に、北側から県道に入り込む道がある。これが背坂峠越えの道で、昔、小国郷から尾花沢へは、背坂、山刀伐、金山、牛房野などの峠を越える道が通じていたが、小国郷の満沢から岩谷沢に抜ける、この間道が最も頻繁に使用されていた。
背坂峠越えの道(2)。

「小国ト云ヘカヽレバ廻リ成故」(曽良随行日記)という理由で背坂峠を避けなければ、芭蕉は、この道から尾花沢入りを果たしていた。右の写真は、上の位置からからやや北に歩いて撮影したもの。左に見える鉄塔付近が市野々(手前)と岩谷沢との境目。   
背坂峠越えの道
関谷番所跡 関谷番所跡。


市野々バス停から更に下ったところに、曽良の随行日記に「市野ゝ五、六丁行テ関有。最上御代官所也。百姓番也。関ナニトヤラ云村也。」と書かれた関谷番所跡がある。写真の右に写る民家が、番所があった柴崎与左衛門宅。


 
  
俳聖 松尾芭蕉・みちのくの足跡
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第22集 芭蕉と尾花沢
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