尾花沢資料写真と解説(4)

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養泉寺・山門。

芭蕉が尾花沢滞在中7泊した養泉寺は、清風邸から700mほど離れた梺町にある天台宗の寺で、江戸時代まで上野東叡山寛永寺直系の寺院として格式を誇った。本尊は、慈覚大師作の聖観世音菩薩で、最上三十三観音の第二十五番札所として崇敬を集めている。
養泉寺・山門
養泉寺・観音堂 養泉寺・観音堂。

芭蕉が訪れた元禄2年は、養泉寺伽藍が大修理された翌年にあたり、院内にはまだ芳しい木の香りが漂っていた。奥羽山脈と出羽山地に挟まれた高温多湿の盆地にあって、高台に立地している養泉寺には最上川や丹生川からの涼風が吹き込み、芭蕉にとって、旅の疲れを癒すに絶好の休み処となった。
養泉寺門前の「古道」。

養泉寺門前を通り、円弧を描いて北に廻り込む道がある。「古道」と呼ばれるこの道は、かつて大名が行列をつくった羽州街道だが、車社会にあっては直道(すぐみち)こそが尊ばれ、寺周辺の曲折した旧道は開発の対象になり得なかった。現在、往時の街道風情を残し原風景に誘ってくれるあの道もこの道も、同じような事情で近代化の波を被らず生き残った道だ。
養泉寺門前の「古道」
涼し塚 涼し塚。

養泉寺の境内に、柴崎路水と鈴木素州が宝暦12年(1762年)に建てた「涼しさを我宿にしてねまる也」の句碑がある。これが「涼し塚」で、隣に「壷中居士」を刻む石碑が建っている。
芭蕉句碑と壷中碑。

壷中は、村山地方を代表する江戸期の俳人で、初め蕉門十哲・服部嵐雪の流れを汲む海谷一中の門に入るが、のち、同じ蕉門十哲の一人各務支考を祖とする美濃派の俳人林風草(鶴岡)の門下となった。宝暦元年(1751年)、俳諧仲間とともに、山寺立石寺に「蝉塚」を築いた人物でもある。
芭蕉句碑
芭蕉連句碑 芭蕉連句碑。

「涼し塚」の東側にも2つの石碑が見られる。1つは、「十泊のまち 尾花沢 芭蕉翁」の文字を刻むもの(右)で、もう1つは「芭蕉連句碑」と称される大きめの石碑(左)。連句碑には、芭蕉が尾花沢滞在中に巻いた「すゞしさを」歌仙の、初折の表4句が刻まれている。

「すゞしさを」歌仙


 
  
俳聖 松尾芭蕉・みちのくの足跡
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第22集 芭蕉と尾花沢
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