尾花沢資料写真と解説(5)

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念通寺。

花邑山念通寺は寛永7年(1630)に花邑浄願坊によって創建された真宗大谷派の寺で、本堂伽藍は、鈴木家三代目八右衛門・清風の私財により五代住持知周のときに建立された。竣工は、起工から2年の歳月を経た元禄10年(1697年)だった。山門と鐘楼は、鈴木一族三家の共同寄進によって元禄12年に建立されている。

鐘楼
念通寺
念通寺・本堂 念通寺・本堂。

清風の念通寺建立は、貞享5年(1688年)8月15日に死別した妻の供養のためだったと見る向きがある。清風は、その後、3人の後添えを迎えているがいずれも死別した。世に「紅花大尽」と聞こえた清風であるが、こうした不遇な一面をもつ生涯でもあった。本堂に張られた寺幕に、代々受け継がれている鈴木家当主「八右衛門」の名が見える。
念通寺・骨堂。

清風は、正徳元年(1711年)、61歳の時に隠居し、その10年後の享保6年( 1721年)1月12日、辞世の句「本来の磁石を知るや春の雁」を遺し、その生涯を閉じた。真宗の寺は親鸞の教えをもとに無墓を旨とすることから、清風の遺骨も檀家共同の「骨堂」に納められた。
念通寺・骨堂
上町観音堂 上町(かんまち)観音堂。

尾花沢市街地から南に行った旧羽州街道沿いに妙法山常信寺があり、その向かい側に上町観音堂の境内が広がっている。この一角の旧羽州街道沿いに、尾花沢に滞在した芭蕉の世話役となった村川素英の墓碑がある。
村川素英逆修墓(生前墓)。

土に埋もれかけた角柱の石碑が素英の墓碑で、これは、素英が最晩年の地となった楯岡(村山市)に移る前に自身の墓碑を尾花沢に残そうと、上町観音堂の境内に石像観音を造り、その基石に辞世の歌を彫り遺して墓碑としたもの。
  

村川素英について
村川素英逆修墓


 
  
俳聖 松尾芭蕉・みちのくの足跡
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第22集 芭蕉と尾花沢
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