資料写真と解説 最上川三難所めぐり

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[最上川三難所(村山市)]    碁点(ごてん)三ヶ瀬(みかのせ)(はやぶさ)
球磨川(熊本県)、富士川(山梨県、静岡県)とともに日本三大急流の1つに数えられる最上川は、西吾妻山を水源とし、置賜、村山、最上、庄内の県内全域を川筋として日本海に入る大川で、総延長229kmの流路がすべて山形県に属している。この距離は、1県のみを流れる川としては日本最大である。最上川の舟運は、古代・中世ごろから部分的に行われていたが、近世に入って物資流通の範囲が拡大するにつれ最上川舟運への期待が高まった。しかし、最上川中流域の「三難所」、すなわち岩礁が露出して船の通行ができない碁点・三ヶ瀬・隼の瀬がこれを立ち塞いだため、山形城主最上義光は、近世初期に岩礁の大開削を行った。その後、元禄年間に米沢藩の西村久左エ門が村山と置賜間の五百川渓谷を開削したことで、上流から酒田までの舟路が整ったことになり、最上川舟運は全国経済と連結する大動脈として発展した。しかし、その後も難破事故は繰り返され、高価な紅花については、難所で破船する恐れから荷を積んでの船下りは嘉永期ごろまで禁止されていた。


「日本三急流」碑

左の写真は、碁点橋の西の畔にある「日本三急流」碑。最上川沿いに10店舗以上のそば屋が点在する「最上川三難所そば街道」があり、碁点橋の近くにもこれに加わる店が数件ある。
  
[下流=左]
碁点橋と三難所舟下りの乗船場
「日本三急流」碑
三難所・碁点の瀬 三難所・碁点の瀬。

[下流=左] 碁点の瀬は、鼠色の緻密な第三紀の凝灰岩が露出しているところで、撮影日はやや水量が多かったためはっきり写っていないが、深場以外の所は岩礁が水面間際まで迫り出している。こうした川のつくりのため、水流はかなり速い。「碁点」の名は、川床に碁石を並べたような岩の突起があることに由来するという。
 
三ヶ瀬橋。
 
[下流=右]
碁点から下った川水は、大淀地区の小丘に当たって西へ急旋回し、その直後、三ヶ瀬の岩礁の上を滑るように流れていく。
三ヶ瀬橋
三難所・三ヶ瀬 三難所・三ヶ瀬。

[下流=右] 碁点の瀬と同じように、深場以外のところは水面すれすれまで岩礁が迫り、独特な川姿を呈している。江戸のころ、様々な荷積みの船が岩礁の間を縫って往復した。「三ヶ瀬」の名は、細長い岩礁が3層をなして縦に並んでいることに由来するという。
長島橋。

隼の瀬から2kmほど上流に架かる長島橋。この橋の畔が三難所舟下りの船着場になっている。当所に、「最上川三難所そば街道」の7番店「リバーハウス はやぶさ」がある。
長島橋
三難所・隼の瀬 三難所・隼の瀬。

[下流=左] 最上川最大の難所で、川幅全体に岩礁が横たわり急灘をなしている。隼の瀬では、弘化3年(1846年)に二百五十俵の年貢米を積む新庄藩の船が破船し、安政4年(1857年)にも最上商人の船が破船するなど、数々の船がこの瀬の通行で難破した。


 
  
俳聖 松尾芭蕉・みちのくの足跡
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