正岡子規「はて知らずの記」より
正岡子規(1867〜1902)は、明治26年(1893年)、7月19日から8月20日までの約1ヶ月間、芭蕉の足跡を訪ねて東北地方を旅した。「はて知らずの記」はその紀行を句文で著した作品で、同年、自社の「日本新聞」に連載された。以下は、山形県内における8月6日から9日までの紀行を抜粋したもの。
8月6日 楯岡、東根
六日 晴。(中略)
東根を過ぎて羽州街道に出でし頃は、はや夕栄(ゆうばえ)山に収まりて星光粲然(さんぜん)たり。

  夕雲にちらりと涼し一つ星

楯岡に一泊す。いかめしき旅店ながら鉄砲風呂の火の上に自在を懸けて大なる罐子(かんす。鑵子)をつるしたるさまなど鄙(ひな)びておもしろし。
8月7日 大石田
七日 晴れて熱し。殊に前日の疲れ全く直らねば歩行困難を感ず。

  何やらの花さきにけり瓜の皮

  賤が家の物干ひくし花葵

三里の道を半日にたどりてやうやう大石田に著きしは正午の頃なり。最上川に沿ふたる一村落にして昔より川船の出し場と見えたり。船便は朝なりといふにこゝに宿る。

  ずんずんと夏を流すや最上川

  蚊の声にらんぷの暗きはたごかな
8月8日 大石田出立、最上川下り(烏川、本合海、古口)
八日 川船にて最上川を下る。此舟米穀を積みて酒田に出だしまた酒田より鹽乾魚を積み帰るなり。下る時風順なれば十八里一日に達し上る時風悪しければ五日六日をも費すといふ。乗合ひ十余人多くは商人にして結髪の人亦少からず。舟大石田を発すれば両岸漸く走りて杉深き木立、家たてるつゝみなど蓬窓(ほうそう)次第に面目を改むるを見てか見ずにか乗合の話声かしまし。

  秋立つや出羽商人のもやひ船

  草枕夢路かさねて最上川ゆくへもしらず秋立ちにけり

正午烏川(大蔵村と舟形町の境)著。四五人こゝより舟をあがれば残るところ亦五六人に過ぎず。団欒(だんらん)話漸く熟して笑声頻(しき)りに起る。言なまりて更に解せず。独り艫辺(「艫」は舟の前または後部)に佇みて四方の風景を見る。遡り来るの舟幾艘人綱を引きて岸上を行く恰(あたか)も蟻の歩みつれたるさま逆流に処するの困難想ふべし。我は流に順ふて下る。川幾曲舟幾轉水緩なる時は舟徐(おもむ)ろに動きて油の上を滑るが如く瀬急なる処は波浪高く撃ち盤渦廻り流れて両岸の光景応接に暇あらず。一舟我と同じく下る。後る事僅に数十間。我舟已(すで)に急灘(きゅうだん。早瀬)を経て後を顧みれば彼舟を距(へだて)る事殆ど数町に在り。

  舟引きの背丈短し女郎花

  蜻蛉や追ひつきかぬる下り船

本合海を過ぎて八面山を廻る頃女三人にてあやつりたる一艘の小舟川を横ぎり来つて我舟に漕ぎつくと見れば一人の少女餅を盛りたる皿いくつとなく持ち来りて客に薦む。客辞すれば彼益々勉めてやまず。時にひなびたる歌などうたふは人をもてなすの意なるべし。餅売り尽す頃漸くに漕ぎ去る。日暮れなんとして古口に著く。下流難所あれば夜船危しとてこゝに泊るなり。乗合四人皆旅店に投ず。むさくろしき家なり。
8月9日 最上川下り(仙人堂、白糸の滝、清川)
九日 早起舟に上る。暁霧濛々夜未だ明けず。

  すむ人のありとしられて山の上に朝霧ふかく残るともしび

古口より下十二里の間山嶮にして水急なり。雲霧繚繞(りょうじょう。めぐる)して翠色模糊たるのあはひあはひ(あわいあわい。間々)より落る幾條の小瀑隠現出没其数を知らず。小舟駛する事箭(や。矢)の如く一瞬一景備(つぶ)さに其変態を極む。会て舟して木曽川を下る、潛(ひそ)かに以て最奇景となす。然れども之を最上に比するに終に此幽邃(ゆうすい)峻奥の趣に乏しきなり。

  立ちこめて尾上もわかぬ暁の霧より落つる白糸の瀧

  朝霧や四十八瀧下り船

四十八瀧は総名なり。淵に河童淵ありて河童は空しく風と消え瀧に尻瀧ありて岩石猶二つの豊凸を為す。其外むづかしき名も多かるべし。一山川に臨んで緑樹鬱茂翠色滴らんと欲す。水に沿ふて鳥居あり。石階木の間に隠れて鳥の声幽かなり。これを仙人堂といふ。前の淵を仙人沢といふ。甲なる人咳き一つしてこを仙人沢といふ事昔久米の仙人空中を飛行してこゝに来りし時衣を浣(あら)ふ処女一人川中に立てるが脛の色白くしてたとへんにものなし。仙人は一目見るよりさてうつくしき脛よと思ひしのみにて通力全く絶え忽ち此水中に落ちたりと語るに乙なる人聴きて膝の進むを覚えず曰く屡々(しばしば)此様の話あり。其女といふも実は神の使にして必ず「みんたん」(此地「私窩子」の称)の類には非るなり。恐るべし恐るべしと。甲又語を継ぎて仙人其後彼女と婚してと言ひもあへず乙傍より妨げていふ。彼亦終に契りを結びしや。果して然らば通力を失ふ亦何かあらんと。一座哄然(こうぜん)舟中の一興なり。漸くにして清川に達す。舟を捨てて陸に上る。河辺杉木立深うして良材に富む。此処戊辰戦争の故蹟なりと聞きて、

  蜩(ひぐらし)の二十五年も昔かな

道々茶屋に憩ふて茶を乞ふ。茶も湯も無しといふ。風俗の質素なること知るべし。歩む事五里再び最上川を渡り、限りなき蘆原の中道辿りて酒田に達す。(後略)



  
  
底本:昭和4年 改造社刊「子規全集 第十巻」

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俳聖 松尾芭蕉・みちのくの足跡
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第23集 芭蕉と大石田
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