大石田資料写真と解説(1)

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大石田の高野一栄宅跡まで [1]
楯岡 − 本飯田 − 土生田 − 追分地点 − 虹ヶ丘
村山市楯岡 村山市楯岡。

芭蕉が山寺への旅で往復した羽州街道(旧国道13号線)。この付近の村山郵便局敷地に楯岡宿の本陣があった。左に分岐するのは、最上川三難所の一つ「碁点(ごてん)」を渡る河島街道。
最上川はみちのくより出て、山形を水上とす。ごてん・はやぶさなど云おそろしき難所有。
(おくのほそ道)

芭蕉が旅した羽州街道
村山市本飯田。

本飯田は間宿が置かれたところで、笠原家文書「御大名御通行一件覚帳」によれば、安永(1772年〜1781年)のころ、楯岡から本飯田まで1里5町を馬で行った場合の駄賃銭が41文で、籠なら82文だったという。年代に相違はあるが、芭蕉の頃、江戸における米一升の値段が80文と伝え聞くので、現在の米の値段(1升を2500円として)で換算すると、およそ馬が360円、籠が720円となる。
村山市本飯田
村山市土生田 村山市土生田(とちうだ)。

芭蕉が歩んだ羽州街道は、楯岡の市街地を貫いた後、金谷地区の先で国道13号線に合流し、本飯田地区に入る。合流地点から1kmほど先で、再び分流し、土生田地区を北進。その後、下の写真の位置で国道13号線と交差し、更に北進を続ける。
村山市土生田の交差点。

下の写真は、国道13号線から見た羽州街道。尾花沢方向に直進している。

村山市土生田の交差点
村山市土生田 村山市土生田。

尾花沢方向に延びる羽州街道。芭蕉一行は、大石田入りする前日、この道を馬に乗って山寺に向った。
辰ノ中尅、尾花沢ヲ立テ立石寺ヘ趣。清風ヨリ馬ニテ舘岡(楯岡)迄被送ル。(曽良随行日記)

大石田に向かうため、土生田北詰から1kmほど南寄りの「追分」地点で、北西方向に左折する。
土生田の追分地点。

この地点から尾花沢の鈴木清風宅まで約5km、大石田の高野一栄宅までは約4km。この位置から西方1kmほどのところを流れている最上川は、大石田の市街地に近づくに連れ、次第に接近し、約1.5km行った辺りで数mまで最接近する。

「芭蕉と大石田」関連地図
土生田の追分地点
大石田の市街地へ  

大石田の市街地へ。

芭蕉と曽良が歩んだ道は、歌聖斎藤茂吉が愛した虹ヶ丘(写真の右に見える山。薬師山、今宿山とも)の麓を通り市街地へ向う。


 
  
俳聖 松尾芭蕉・みちのくの足跡
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第23集 芭蕉と大石田
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