大石田資料写真と解説(4)

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芭蕉を迎えた向川寺 芭蕉を迎えた向川寺。

曽良随行日記の5月29日の条に「発・一巡終テ、翁両人誘テ黒瀧ヘ被参詣」とある。「黒瀧」は黒瀧山向川寺のことで、当日の連句の会で「さみだれを」一巡四句が詠まれた後、芭蕉は、一栄と川水を誘い向川寺に参詣した。

「五月雨を」の発句について
黒瀧山向川寺。

寺伝によれば、黒瀧山向川寺は、曹洞宗大本山総持寺の直末寺で、永和3年(1377年)総持寺二世峩山禅師五哲の一人、大徹宗令禅師が開山した。歴代禅師によって開かれた向川寺の末寺は、山形、宮城、秋田の3県で28を数え、孫寺は数百に及ぶ。
黒瀧山向川寺
黒瀧山向川寺 黒瀧山向川寺。

(上から続く) 中本山の寺格を有する向川寺は、創建のころ、数々の塔堂伽藍が建ち並ぶ一大寺院であったが、寛永14年(1637年)、文化4年(1807年)など数度の火災にあい、本堂庫裡、禅堂、客殿などの堂宇や一切経、諸仏を失った。現在に至るまで経済的困窮のため再建が叶わず、引き続き無住の時代が続いている。
大石山乗船寺。

乗船寺(乗舩寺)は、戦国時代の天文年間(1532〜1555)に、最上義光の家臣大乗内記が、明蓮社光誉運冏上人を招請して開山した寺と伝えられる。阿弥陀如来坐像と木造千手観音立像はともに県指定文化財。元禄7年(1694年)に木食傾誉上人が寄進した釈迦涅槃像も有名。
大石山乗船寺
高桑川水夫妻の墓 高桑川水夫妻の墓。

川水は、芭蕉のころ高野一栄とともに大石田俳壇の中心にいた人物で、「さみだれを」歌仙に一座したことで知られる。「おくのほそ道」当時、川水は隠居の身で、年齢は芭蕉と同じく四十六歳だった。乗船寺に、「道誉輝詮大徳 相誉妙真信女」を刻する川水の夫妻の墓碑がある。

高桑川水について
子規句碑と茂吉歌碑。

乗船寺の本堂裏庭に、芭蕉を敬慕して「はて知らずの記」の旅に出、大石田に立ち寄った正岡子規の「ずんずんと夏を流すや最上川」の句碑(左)と、同じく芭蕉を慕い、大石田に長期逗留した斎藤茂吉の「最上川逆白波のたつまでにふぶくゆふべとなりにけるかも」の歌碑(右)がある。

大石田と斎藤茂吉について
正岡子規「はて知らずの記」
子規句碑と茂吉歌碑


 
  
俳聖 松尾芭蕉・みちのくの足跡
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第23集 芭蕉と大石田
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