最上川資料写真と解説

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芭蕉の最上川の旅
本合海 − 船番所跡 − 仙人堂 −白糸の滝 −清川
こちらから「地図でひらく最上川写真展示室」を呼び出せます。
新庄市・本合海 新庄市・本合海。

最上川は、左手へ直角に近い蛇行を見せた直後、本合海大橋の先で屏風状に切り立った八向山(矢向山)の裾に流れ込み、左にもう一度折れ曲がる。その昔、源頼朝に追われた義経は、芭蕉とは逆に、清川から最上川をさかのぼり、かつて「あい河の津」と呼ばれたこの本合海の地で下船した。
戸沢村・古口。

芭蕉の乗った船は、本合海から一里半下り、船番所のある古口(戸沢村)に到着した。古口は、両岸から迫り出した山裾が天然のダムの役割を果たし、増水時に度々水害を引き起こしたが、昭和50年代に、治水対策として下の写真に見る「特殊堤防」が築かれた。
戸沢村・古口
古口の船番所跡

古口の船番所跡。

藩政時代、写真の中央付近に船番所が設置され、荷物の検査や通行手形の検視などが行われた。

古口ヘ舟ツクル。(中略) 是又、平七方へ新庄甚兵ヘヨリ状添。関所、出手形、新庄ヨリ持参。平七子、呼四良、番所ヘ持行。(曽良随行日記)

古口の船番所跡。

対岸の船番所跡から撮影。下の写真は、国道47号線沿いに建つ「奥の細道 船番所跡」の道標。


   
古口の船番所跡
間もなく仙人堂 間もなく仙人堂。

緩やかなS字を描いて蛇行する最上峡の右岸に、鳥居を構えた「仙人堂」がある。仙人堂は外川神社とも呼ばれ、祭神は日本武尊。

江戸時代後期に描かれた「仙人堂并近里略絵図」
 

鳥居と仙人堂。

仙人堂は、鎧明神、兜明神、竜明神、本合海八向明神とともに「最上の五明神」に数えられ、農業や航海安全の神として信仰を集めている。由来書に、源義経が平泉に渡るときに、付き従った常陸坊海尊がこの地で皆と別れ、山に篭り、修験道の奥義を極めて仙人になったとある。   

鳥居と仙人堂
間もなく白糸の滝 間もなく白糸の滝。

仙人堂から3km近く下ると、右手に、山が大きく割けたところが見えてくる。ここが「日本の滝百選」に選ばれている名勝「白糸の滝」。滝壷近くが浅瀬になっているため舟寄せができない。
 

白糸の滝。

仙人堂と同様、古来数多くの文人墨客を迎えた出羽国きっての歌枕「白糸の滝」は、今もなお、真っ白い糸を縒(よ)り纏めたような優美な姿を青葉の隙間に現し、清らかな水音を響かせている。

最上川滝の白糸くる人の心によらぬはあらじとぞ思ふ
(源重之。夫木集)


「最上川写真展示室」から

白糸の滝
清川口 清川口。

白糸の滝から、最上川と立谷沢川の合流地点、清川口まで来ると、その昔、清川関所が置かれていた清川小学校まで、余すところ300mほどとなる。
 

清川関所跡(清川小学校)。

芭蕉一行は、古口の船番所におけると同様、手抜かりの無い添状を用意して無事関所を通過するべきところ、何かの手違いがあったらしく、下船に待ったがかけられた。しかし、この先、狩川、手向と順調に旅が続けられたのであるから、最終的には清川で上陸が果たせた、ということになる。

清川関所跡(清川小学校)


 
  
俳聖 松尾芭蕉・みちのくの足跡
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第23集 芭蕉と大石田
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