庄内町資料写真と解説

「資料写真と解説」で扱っている写真は、すべてLAP Edc. SOFTが撮影したものです。
掲載している写真の使用を希望される場合は、「使用条件のページ」をご参照ください。

清川関所跡 清川関所跡。

最上川縁の清川小学校の裏庭が、その昔、清川関所が置かれていたところ。現在、関所跡に芭蕉像や「芭蕉上陸之地」の石碑、「五月雨を」句碑などが建ち、清川が芭蕉および「おくのほそ道」ゆかりの地であることを顕彰している。
「芭蕉上陸之地」碑と句碑。

芭蕉句碑は昭和31年(1956)の建立。石碑に埋められた銅版に、以下の文字が浮彫りされている。
  

清川史跡 清川関所跡
芭蕉荘内上陸地
     芭蕉
五月雨をあつめて早し最上川
            楸邨筆
「芭蕉上陸之地」碑と句碑
芭蕉像とその東側風景 芭蕉像とその東側風景。

平成2年(1990年)建立の芭蕉像。当所の東側を最上川が流れるが、一段高い所を走る国道47号線がその姿を隠している。

羽黒山への道。

芭蕉一行は、清川小学校の正門から北西方向に延びるこの道から羽黒山を目指した。下の写真は清川小学校。


羽黒山への道
清河神社 清河神社。

庄内町清川は、明治維新のさきがけ・清河八郎生誕の地で、庄内戊辰戦争の清川口古戦場として知られる。写真は、正四位清河八郎を祭る清河神社。昭和8年(1933年)の創建。
 

境内に建つ清河八郎像。

写真は、鳥居の脇に建つ清河八郎の像で、以下は、「明治維新と清河八郎」と題する説明板の全文。
天保元年(1830年)10月10日、出羽庄内清川村斎藤豪寿の長男として生れる。18才で江戸に出て学を東條一堂に、剣を千葉周作に学び北辰一刀流兵法皆伝の域に達した。25才で神田三河町に清河塾を開いた文武兼備の英士であった。その後、全国に雄飛し尊皇攘夷討幕の同志と結び、明治維新の風雲を起した主役といわれている。文久3年(1863年)4月13日、麻布一ノ橋において幕府刺客のために暗殺され34才で生涯をとじた。

境内に建つ清河八郎像
正岡子規句碑 正岡子規句碑。

清川口古戦場「御殿林」に建つ子規句碑。次の「はて知らずの記」8月9日の条の一節を刻む。
漸くにして清川に達す。舟を捨てて陸に上る。河辺杉木立深うして良材に富む。此処戊辰戦争の故蹟なりと聞きて、
蜩(ひぐらし)の二十五年も昔かな

正岡子規「はて知らずの記」


 
  
俳聖 松尾芭蕉・みちのくの足跡
総合目次


第23集 芭蕉と大石田
スタートページ

Copyright(C) 2003-2006  LAP Edc. SOFT.  All Rights Reserved.
 
Maintained online by
webmaster@bashouan.com