羽黒山と月山の句について

「涼しさや」の句について

芭蕉が羽黒山に登ったのが6月3日であるから、三日月を詠んだ「涼しさやほの三か月の羽黒山」の句の情景は、当日、一の坂から南谷へ向かう道すがらのもの、ということになる。

随行日記によれば、この日の天気は晴れで、一の坂の手前を流れる祓川の辺りで暗くなったという。また、参道脇の杉並木の多くは、天宥が寛永7年(1630年)別当に就いてから植えられたものであり、当時はまだ若木の内であった。こうした情況から推して、登山の途中、足を止めて振り返れば、木々の間から沈みかけた三日月が見えたことだろう。

二の坂を登り終えて道が平坦になったあたりに、芭蕉塚とも称され、明和6年(1769年)に建てられた三日月塚がある。ここは、伝来の通りに、芭蕉が三日月を鑑賞したとするのに最も相応しいところであり、当所の説明板には、この折の芭蕉を偲んで「翁、羽黒山畄(留)杖の折、羽黒の句『涼しさや・・・』の発句の処」と記されている。

本句の初案にあたる句は、真蹟短冊に記された「凉風やほの三ヶ月の羽黒山」であるが、この句が、果たして月を眺めた当日の3日に詠まれたものかについては、曽良の「俳諧書留」にその手懸かりがあり、これには、「凉風や」句が、月山、湯殿山の句と並べて記されていることから、実際には、巡礼から帰った後の、8日または9日ということになる。

芭蕉は、三日月の日には口を閉じながらも、羽黒山から見た夕刻の情景を十分に記憶に留め、そして後日、短冊に向き合ったということなのだろう。

 

「雲の峰」の句について

月山は、出羽山地の鳥海山に次ぐ大峰で、月の神・月読命を祭神として「月の山」とも呼ばれる。芭蕉が、出羽三山の里で見られた月は、月齢三から九の月で、曽良の随行日記をもとにすれば、月山登拝時の月は上弦の六日月だった。

六日月は、おおよそ、昼前に東の空に昇り、月山山頂に到着した申の上刻(午後3時半ごろ)には南寄りの天空にあるが、陽光の為にまだ判然としない。しかし、日没が進むにつれて南の空高くに鮮明となる。「おくのほそ道」の本文にある「日没て月顕る」は、六日月下のこうした情景を記したものと見られる。

そして本文に掲げた発句が「雲の峯幾つ崩て月の山」で、これの季語は、主として夏に、強い上昇気流で湧き上がる「雲の峰(入道雲)」である。「雲の峯幾つ崩て」とは、登拝の途に見た天地の営みで、月山を背景にして、天空を突く猛々しい雲の、湧いては消えてゆくありさまを言ったものだろう。

しかし、芭蕉と同じ道すがらに眺める月山は、これとは逆に、どこもかしこも円やかで柔和である。こうした視点に立って本句を鑑賞することにすれば、「雲の峯幾つ崩て」と「月の山」には、「剛」と「柔」を取り合わせた妙があって、昼に、大きく起立していた雲の峰はいつしか崩れ、夜に、嫋(たお)やかで神々しい月の山が六日月の光に照らされて横たえている、といった情景が見えてくる。

  


「おくのほそ道」と出羽三山/曽良随行日記
 

「おくのほそ道」と出羽三山
元禄2年(1689年)6月3日(新暦7月19日)〜6月10日(新暦7月26日)
曽良随行日記<原文> 現代語
三日 天気吉。新庄ヲ立。一リ半、元合海。次良兵へ方へ甚兵へ方ヨリ状添ル。大石田平右衛門方ヨリも状遣ス。船、才覚シテノスル。
 
一リ半、
古口ヘ舟ツクル。合海ヨリ禅僧ニ人同船、清川ニテ別ル。毒海チナミ有。是又、平七方へ新庄甚兵ヘヨリ状添。関所、出手形、新庄ヨリ持参。平七子、呼四良、番所ヘ持行。舟ツギテ、三リ半、清川ニ至ル。酒井左衛門殿領也。
 
 
 
平七ヨリ状添方ノ名忘タリ。此間ニ
仙人堂白糸ノタキ、右ノ方二有。状不添シテ番所有テ、船ヨリアゲズ。
 
 
 
 
 
一リ半、厂川。ニリ半、羽黒手向。荒町。申ノ刻、近藤左吉ノ宅ニ着。本坊ヨリ帰リテ会ス。本坊若王寺別当執行代和交院ヘ、大石田平右衛門ヨリ状添。露丸子ヘ渡。本坊ヘ持参、再帰テ、南谷ヘ同道。祓川ノ辺ヨリクラク成。本坊ノ院居所也。
 
 
 
 
四日 天気吉。昼時、本坊ヘ蕎切ニテ被招、会覚ニ謁ス。并南部殿御代参ノ僧浄教院・江州円入ニ会ス。俳、表計ニテ帰ル。三日ノ夜、希有観修坊釣雪逢。互ニ泣涕ヌ。
 
 
 
 
五日 朝の間、小雨ス。昼ヨリ晴ル。昼迄断食シテ註連カク。夕飯過テ、先、羽黒ノ神前に詣。帰、俳、一折ニミチヌ。
 
 
 
六日 天気吉。登山。三リ、強清水、ニリ、平清水(ヒラシミツ)、ニリ、高清(高清水)、是迄馬足叶。道人家小ヤガケ也。彌陀原コヤ有。中食ス。是ヨリフダラ、ニゴリ沢、御浜ナドヽ云ヘカケル也。難所成。御田有。行者戻リ、こや有。申ノ上尅、月山ニ至。先、御室ヲ拝シテ、角兵衛小ヤニ至ル。雲晴テ来光ナシ。夕ニハ東ニ、旦ニハ西ニ有由也。
 
 
 
 
 
〇本道寺へも、岩根沢へも行也。
 
七日 湯殿ヘ趣。鍛冶ヤシキ、コヤ有。牛首、コヤ有。不浄汚離、コヽニテ水アビル。少シ行テ、ハラジヌギカヱ、手繦ガケナドシテ御前ニ下ル(御前ヨリスグニ、シメカケ・大日坊へカヽリテ鶴ヶ岡ヘ出ル道有)。
 
 
 
是ヨリ奥へ持タル金銀銭持テ不帰。惣而取落モノ取上ル事不成。浄衣・法冠・シメ斗ニテ行。昼時分、月山ニ帰ル。昼食シテ下向ス。強清水迄光明坊ヨリ弁当持セ、サカ迎セラル。及暮、南谷ニ帰。甚労ル。
 
 
 
 
 
△ハラヂヌギカヘ場ヨリ、シヅト云所ヘ出テ、モガミヘ行也。
 
△堂者坊ニ一宿、三人、一歩。月山、一夜宿、コヤ賃廿文。方々役銭貳百文之内。散銭貳百文之内。彼是、一歩銭不余。
 
 
八日 朝ノ間小雨ス。昼時ヨリ晴。和交院御入、申ノ刻ニ至ル。 
 
九日 天気吉、折々曇。断食、及昼テ、シメアグル。ソウメンヲ進ム。亦、和交院ノ御入テ、飯・名酒等持参。申刻ニ至ル。花ノ句ヲ進テ、俳、終。ソラ発句、四句迄出来ル。
 
 
十日 曇。飯道寺正行坊入来、会ス。昼前、本坊ニ至テ、蕎切・茶・酒ナド出。未ノ上刻ニ及ブ。道迄円入被迎、又、大杉根迄被送。祓川ニテ手水シテ下ル。左吉ノ宅ヨリ翁計馬ニテ、光堂迄釣雪送ル。左吉同道。
道ヽ小雨ス。ヌルヽニ不及。
 
 
 
申ノ刻、鶴ヶ岡長山五郎右衛門宅ニ至ル。粥ヲ望、終テ眠休シテ、夜ニ入テ発句出テ一巡終ル。
 
十一日 折々村雨ス。俳有。翁、持病不快故、昼程中絶ス。
 
十二日 朝ノ間村雨ス。昼晴。俳、歌仙終ル。
 
 〇羽黒山南谷方。近藤左吉、観修坊、南谷方也。且所院、南陽院、山伏源長坊、光明坊、息・平井貞右衛門。○本坊芳賀兵左衛門、大河八十良、梨水、新宰相。
 ○花蔵院○正隠院、両先達也。円入(近江飯道寺不動院ニテ可尋)、七ノ戸南部城下、法輪陀寺内浄教院珠妙。

 ○鶴ヶ岡、山本小兵ヘ殿、長山五郎右衛門縁者。図司藤四良、近藤左吉舎弟也。
三日 天気晴れ。新庄を立つ。一里半、元合海(本合海)。次良兵へ方へ甚兵へ方からの添状を渡す。大石田平右衛門方からの添状も渡す。船、工面して乗せてもらう。
 
一里半、古口へ舟を着ける。合海(大蔵村。本合海の上流部)から乗船した禅僧ニ人と同船、清川にて別れる。(芭蕉庵で死去した)毒海長老に因みの有る僧。是又、平七方へ新庄甚兵ヘからの添状を渡す。関所、出手形、新庄より持参。平七の子、呼四良、番所へ持って行く。舟を継ぎ、三里半、清川に至る。酒井左衛門殿領也。
 
平七からの添状、宛先を書き忘れる。此間(古口・清川間)に仙人堂・白糸の滝、右の方に有り。清川関所に渡す添状が無く、役人は船から上げず(本件は、この先、厂川<狩川>、手向と実際に旅が続けられた経緯より、結局、清川で下船が許されたと見るのが順当)。
 

一里半、厂川(狩川)。ニ里半、羽黒手向。荒町。午後4時頃、近藤左吉(俳号露丸・呂丸)の宅に着く。本坊より帰るのを待ち露丸に会う。本坊若王寺の別当執行代和交院(和合院照寂。会覚阿闍梨)へ、大石田平右衛門(高野一栄)より案内状。露丸子へ渡す。(露丸が)これを本坊へ持参。帰宅後、南谷へ同道。祓川の辺りより暗くなる。(南谷別院は)本坊(若王寺)の院居所。
 
四日 天気晴れ。昼時、本坊へ蕎切(そばきり)に招かれ、会覚に謁す。并(あわせて)南部殿御代参の僧浄教院(珠妙。南部城下法輪陀寺内浄教院の僧)・江州円入(江州飯道寺の僧)に会う。俳諧あり、表(六句)ばかりにて帰る。三日の夜、希有(けう。思いがけずに)観修坊釣雪に逢う。互いに泣涕す。
 
五日 朝の間、小雨降る。昼より晴れる。昼まで断食潔斎して首に註連(注連。しめ)を掛ける。夕飯過ぎて、まず羽黒の神前に詣ず。帰って俳諧あり、(昨日に続けて裏を詠み)一折(初折)を終える。
 
六日 天気吉。月山に登る。三里、強清水(四合目)、ニ里、平清水(六合目)、ニ里、高清(高清水。現在「合清水」で七合目)、是まで馬足叶う。道人家、小屋掛け(仮小屋)也。彌陀原(弥陀ヶ原、御田ヶ原。八合目)小屋有。中食す。是より補陀落、濁沢、御浜などという所へ掛かる。難所成。(弥陀ヶ原に)御田有。行者戻リ、小屋有。午後3時半頃、月山に至る。まず、御室を拝して、角兵衛小屋に至る。雲晴れて来光(日の出・日の入りの時、霧中、太陽の反対側に見られるブロッケン現象)なし。(来光は)夕には東に、旦(あした。朝)には西に有る由也。
 
〇(頂から)本道寺へも、岩根沢へも行ける。
 
七日 湯殿山神社ヘ趣く。鍛冶屋敷、小屋有。牛首、小屋有。不浄汚離(不浄垢離。「冷水を浴びて体を清浄にする」意)のところで水浴びる。少し行き、(装束場で)草鞋脱ぎ替え、手繦(たすき)掛けなどして御前(ご神体)に下る(御前よりすぐに、七五三<注連>掛・大日坊に掛かり鶴岡へ出る道有り)。
 
是より奥へ持参した金銀銭は持ち帰れず。惣じて取り落したものは拾い上げる事できず。浄衣・法冠(宝冠。頭を包む長い白木綿の布)・しめ(注連)ばかりにて行く。昼時分、月山に帰る。昼食して下向す。強清水まで光明坊より弁当持参、さか迎(坂<境>迎え。「人を出迎えて、酒などを出してもてなす」意)を受ける。暮に及び、南谷に帰る。甚だ労る(疲れる)。
 
△草鞋脱ぎ替え場(装束場)より、志津と云う所へ出て、最上へ行ける。
 
△堂者坊(行者の宿泊所)なら、三人で一歩(銭)。月山(山頂)に一夜宿、小屋賃二十文。方々での役銭は二百文の内。散銭(賽銭)は二百文の内。彼是(かれこれ)一歩銭余らず。
 
八日 朝の間小雨。昼時より晴。和交院(南谷に)御入り、午後4時頃に至る。 
 
九日 天気吉、折々曇。断食潔斎、昼に及び、しめ(注連)を納め上げる。そうめんを進められる。又、和交院御入りで、飯・名酒等持参。午後4時頃に至る。花の句を進めて俳諧終る。曽良の発句、四句迄出来る。 
 
十日 曇。飯道寺正行坊(円入か)が入来し、会う。昼前、本坊に至りて、蕎切・茶・酒など出る。午後1時半頃に及ぶ。道まで円入に迎えられ、又、大杉根(今の爺杉のところ)まで見送られる。秡川にて手水して下る。左吉(呂丸)の宅より翁ばかり馬に乗る。光堂(黄金堂)迄釣雪見送る。左吉同道。道々小雨降る。濡れるに及ばず。
 
午後4時頃、鶴ヶ岡(鶴岡)の長山五郎右衛門宅に至る。粥を所望、食べ終えて眠って休む。夜に入り、発句出て一巡終る。
 
〇十一日 折々にわか雨降る。俳諧有り。翁、持病不快故、昼ごろ中断する。
 
〇十二日 朝の間にわか雨降る。昼晴れる。俳諧有り、歌仙終ル。
 
 〇羽黒山南谷方。近藤左吉、観修坊、南谷方也。且所院、南陽院、山伏源長坊、光明坊、息・平井貞右衛門。○本坊芳賀兵左衛門、大河八十良、梨水、新宰相。
 ○花蔵院○正隠院、両先達也。円入(近江飯道寺不動院ニテ可尋)、七ノ戸南部城下、法輪陀寺内浄教院珠妙。

 ○鶴ヶ岡、山本小兵ヘ殿、長山五郎右衛門縁者。図司藤四良、近藤左吉舎弟也。
◇一里:約4km ◇一丁(町):約109m ◇一間:約1.8m

 

 
  
俳聖 松尾芭蕉・みちのくの足跡
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第24集 芭蕉と出羽三山
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