羽黒山資料写真と解説(3)

「資料写真と解説」で扱っている写真は、すべてLAP Edc. SOFTが撮影したものです。
掲載している写真の使用を希望される場合は、「使用条件のページ」をご参照ください。

出羽三山関連写真 羽黒山 [2]
南谷への入り口、南谷への道、別院跡
三の坂下へ続く道 三の坂下へ続く道。

二の坂茶屋から、三日月塚(芭蕉塚)、本坊宝前院跡、そして、緩やかな坂道を下ってさらに歩みを進めると、三の坂下に、南谷へ至る道との分岐点が見えてくる。茶屋付近までの急坂とは一転して、三日月塚から南谷に至るまでは、おおむね傾斜がなく穏やかである。
三の坂下、南谷入り口。

元禄2年(1689年)6月3日(新暦7月19日)、芭蕉と曽良は、呂丸の案内にて日の落ちた参道を三の坂下まで行き、右の分岐点から南谷の別院へ向った。南谷は、これより20余年前、第50代別当執行の天宥が5年の歳月をかけて築造したもので、自らの別当寺紫苑寺の大伽藍は、人目を驚かすほどに壮大だったという。
三の坂下、南谷入り口
南谷への道 南谷への道。

上の地点から南谷別院跡までの道のりは約500m。出羽三山歴史回廊調査・整備実行委員会およびボランティアの人々の努力により、全コースが歩きやすく整備され、往時の佇まいに心を馳せながら、ゆったりと散策することができる。   
南谷の別院跡。

芭蕉が訪ねた頃、紫苑寺の建物は既に焼失して無く、替わりに山頂から玄陽院を移築して、本坊宝前院の別院としていた。玄陽院は、宿泊施設としての機能も備え、芭蕉は当所に6泊して静養の日々を過ごした。
南谷の別院跡
南谷の別院跡 南谷の別院跡。

今は、庭園跡と心字池(左)と礎石のみを残すばかりだが、谷あいに開けた広大な敷地は、往時の構えの見事さを彷彿とさせる。上の写真の中央に、芭蕉の「有難や雪をかほらす南谷」の句碑が見える。これは、羽黒山第75代別当覚諄が文化15年(1818年)に建立したもの。


 
  
俳聖 松尾芭蕉・みちのくの足跡
総合目次


第24集 芭蕉と出羽三山
スタートページ

Copyright(C) 2004  LAP Edc. SOFT.  All Rights Reserved.
 
Maintained online by
webmaster@bashouan.com